正式には法雲山仙寿院東漸寺と号する日蓮宗の名刹で、正保元年(1644年)、紀州徳川家初代・徳川頼宣の生母で徳川家康の側室であった養珠院(お万の方、法名妙紹日心大姉)の発願により、安房里見家二代義康の次子・里見日遥を開山として創立された。もとは赤坂の紀州徳川家上屋敷内に養珠院が建てた草庵が起源で、頼宣が母の菩提を弔うために現在地の千駄ヶ谷に移し伽藍を整えた。お万の方は紀州初代・頼宣と水戸初代・頼房の生母であり、徳川御三家のうち二家の母としての存在は計り知れず、仙寿院はいわば御三家の聖母ゆかりの寺である。境内は最盛期には4,653坪を数え、桜の名所として『江戸名所図会』にも「新日暮里」の名で登場、花時には江戸市中から遊客が押し寄せて絶えることがなかったと記される。昭和39年(1964年)の東京オリンピックの折には墓地の下を千駄ヶ谷トンネルが貫通する前代未聞の工事が行われ、「死者の下を通る道」と…