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金剛三昧院
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金剛三昧院
和歌山県
創建
1211
種別
寺院
アクセス
南海高野線「高野山」駅からケーブルカー+バス、千手院橋下車徒歩約10分
和歌山県伊都郡高野町高野山425
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基本情報
寺院
創建 1211
815年目
御祭神・御本尊
愛染明王
宗派
高野山真言宗(高野山塔頭)
概要
金剛三昧院(こんごうさんまいいん)は和歌山県伊都郡高野町の高野山内に位置する高野山真言宗の塔頭寺院で、新西国三十三箇所第7番札所である。本尊は愛染明王。建暦元年(1211年)、北条政子が亡き源頼朝の菩提を弔うため建立した「禅定院」を起源とし、後の貞応2年(1223年)に頼朝の三回忌に当たり「金剛三昧院」と改称された。境内の多宝塔は貞応2年(1223年)の建立で、高野山内に現存する建造物としては最古級の国宝。鎌倉時代の優れた仏塔建築として高く評価される。源頼朝・北条政子・実朝の供養塔も境内に残り、鎌倉幕府と高野山との深い結びつきを今に伝える歴史的寺院。
由緒
金剛三昧院の創建は建暦元年(1211年)、北条政子(源頼朝の正室)が亡き頼朝(1199年没)の菩提を弔うため、高野山に「禅定院」を建立したことに始まる。当時、政子は鎌倉幕府の実質的指導者として政務を執っており、頼朝の冥福を祈るため夫の遺骨の一部を高野山に分骨し、菩提寺とした。貞応2年(1223年)、頼朝の三回忌(実際には24回忌の年)に当たり、二代将軍源頼家・三代将軍源実朝の菩提も合わせて弔うため、寺名を「金剛三昧院」と改称した。同年、境内に多宝塔が建立された。この多宝塔は鎌倉時代初期の優れた仏塔建築として国宝に指定されており、高野山内に現存する建造物としては最古級の貴重な遺構である。境内には…
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北条政子とのつながり
建暦元年(1211年)、北条政子は亡き夫・源頼朝(1199年没)の菩提を弔うため高野山に「禅定院」を建立した。当時政子は尼将軍として鎌倉幕府の実質的指導者であり、頼朝の遺骨の一部を高野山に分骨して当院を菩提寺とした。貞応2年(1223年)には源頼家・実朝の菩提も合わせて弔うため寺名を「金剛三昧院」と改称し、同年に多宝塔(国宝)を建立した。当院は政子の頼朝への深い愛情と、源氏三代への鎮魂の祈りを今に伝える鎌倉時代の重要な遺構である。
源頼朝とのつながり
源頼朝(1147-1199)の正室・北条政子は、頼朝亡き後(1199年没)も鎌倉幕府の実質的指導者として政務を執り続けた。建暦元年(1211年)に高野山へ頼朝の菩提を弔うため当院(旧禅定院)を建立し、頼朝の遺骨の一部を分骨して安置したと伝わる。境内には頼朝の供養塔も残り、鎌倉幕府を創設した源頼朝の御霊を祀る数少ない高野山塔頭として、源氏崇拝の拠点となっている。
源実朝とのつながり
源実朝(1192-1219)は鎌倉幕府の三代将軍で、1219年に鶴岡八幡宮で公暁に暗殺された源氏将軍家最後の人物。母・北条政子が貞応2年(1223年)の頼朝二十四回忌に当たり、実朝・頼家の菩提も合わせて弔うため当院を「金剛三昧院」と改称した。境内には実朝の供養塔が残り、源氏三代の悲劇を今に伝える鎮魂の地となっている。
豊臣秀吉とのつながり
豊臣秀吉は天下統一後、高野山を帰依の地として重んじ、金剛三昧院にも歴代政権の一として庇護を与えた。北条政子が創建したこの塔頭は、足利将軍家・豊臣・徳川と続く歴代政権の庇護を受けながら、国宝の多宝塔とともに鎌倉以来の法灯を守り続けてきた。

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