spot/[id]

ホーム
>
都道府県から探す
>
静岡県
>
静岡市
>
JR静岡駅
>
駿府城
駿府城
創建
1585
種別
アクセス
JR静岡駅から徒歩約15分
静岡県静岡市葵区駿府城公園
Google Map で開く ↗
基本情報
創建 1585
441年目
概要
天正13年(1585年)に徳川家康が築いた駿府の居城。家康は江戸幕府開設後も大御所として駿府城に帰り、ここで75歳で没した天下人の城。二之丸東御門・巽櫓・坤櫓が復元され、現在は駿府城公園として静岡市民に親しまれる。発掘調査により豊臣期・徳川期の石垣が確認されており、天下人の城の壮大さが偲ばれる。今川氏・徳川氏・豊臣氏の歴史が交差する静岡を代表する歴史名所のひとつ。
由緒
駿府の地は今川氏の本拠地として栄え、幼少期の徳川家康(竹千代)はここで人質として過ごした。天正13年(1585年)、家康は今川氏旧領の駿府に城を築き、東海の要衝に拠点を構えた。しかし天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命により家康が関東へ移封されると、駿府城には豊臣系の城主が置かれた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、家康が実権を掌握し、慶長12年(1607年)に城を大規模に拡張・改修。天守は五重七階とも伝わる巨大なものとされた。慶長8年(1603年)に江戸幕府を開いた家康は、慶長10年(1605年)に将軍職を秀忠に譲った後も大御所として駿府城に居住し、外交・政務を執り続けた。元和2年…
もっと読む
今川義元とのつながり
駿府城の前身である今川館(館跡)はもともと今川氏の本拠地であった。義元はここを拠点に東海一の大名として君臨し、幼少の竹千代(家康)を人質として駿府に置いた。1560年に義元が桶狭間で討たれると今川氏の支配は崩れ始め、駿府は後に家康の本拠となった。
武田信玄とのつながり
武田信玄は1568年に駿河侵攻を開始し、今川氏真を追って駿府城(今川館)を占拠した。以後、駿府は武田氏の支配下に入り、信玄は駿河を武田領として組み込んだ。信玄死後は家康が奪還し、後に大規模な城郭として整備した。

ゆかりの人物
2

みんなの投稿
0
まだ投稿がありません
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U