近代俳句の中興の祖と称された高浜虚子(1874〜1959年)が眠る寿福寺の墓地。愛媛県松山に生まれ、正岡子規の高弟として頭角を現した虚子は、子規没後に俳誌『ホトトギス』を引き継ぎ、客観写生・花鳥諷詠を旗印として近代俳壇の主流を築いた。明治41年(1908年)に鎌倉に居を構えてからは、生涯を鎌倉で過ごし、英勝寺・寿福寺など扇ヶ谷一帯の寺社を散策しながら数多くの句を詠んだ。昭和29年(1954年)には文化勲章を受章。昭和34年(1959年)4月8日に84歳で没し、長く愛した寿福寺の墓地に葬られた。墓は北条政子・源実朝のやぐらに程近い場所にあり、中世の英傑と近代の俳人が同じ山中に静かに眠る、鎌倉ならではの「文化地層」を成す聖地である。
高浜虚子(本名・高浜清、1874〜1959年)は愛媛県松山に生まれ、同郷の正岡子規に師事して俳句の道に入った。明治31年(1898年)、子規が病床に伏す中で俳誌『ホトトギス』の経営を引き継ぎ、子規没後はその主宰として、客観写生・花鳥諷詠を方針に近代俳壇を主導した。同門の河東碧梧桐が新傾向俳句に走るのに対し、虚子は伝統的有季定型を堅持し、水原秋桜子・山口誓子・中村草田男ら多くの逸材を輩出した。明治41年(1908年)に鎌倉に居を移し、以後生涯を鎌倉で過ごす。英勝寺で「木々の芽や寺復興の尼悲願」、寿福寺周辺の寺社では数多くの句を残し、鎌倉文士の代表的存在として知られた。昭和15年(1940年)日本…