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高浜虚子の墓(寿福寺)
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高浜虚子の墓(寿福寺)
神奈川県
創建
1959
種別
史跡
アクセス
JR鎌倉駅西口から徒歩15分(寿福寺墓地内)
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-12-1(寿福寺墓地)
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基本情報
史跡
創建 1959
67年目
概要
近代俳句の中興の祖と称された高浜虚子(1874〜1959年)が眠る寿福寺の墓地。愛媛県松山に生まれ、正岡子規の高弟として頭角を現した虚子は、子規没後に俳誌『ホトトギス』を引き継ぎ、客観写生・花鳥諷詠を旗印として近代俳壇の主流を築いた。明治41年(1908年)に鎌倉に居を構えてからは、生涯を鎌倉で過ごし、英勝寺・寿福寺など扇ヶ谷一帯の寺社を散策しながら数多くの句を詠んだ。昭和29年(1954年)には文化勲章を受章。昭和34年(1959年)4月8日に84歳で没し、長く愛した寿福寺の墓地に葬られた。墓は北条政子・源実朝のやぐらに程近い場所にあり、中世の英傑と近代の俳人が同じ山中に静かに眠る、鎌倉ならではの「文化地層」を成す聖地である。
由緒
高浜虚子(本名・高浜清、1874〜1959年)は愛媛県松山に生まれ、同郷の正岡子規に師事して俳句の道に入った。明治31年(1898年)、子規が病床に伏す中で俳誌『ホトトギス』の経営を引き継ぎ、子規没後はその主宰として、客観写生・花鳥諷詠を方針に近代俳壇を主導した。同門の河東碧梧桐が新傾向俳句に走るのに対し、虚子は伝統的有季定型を堅持し、水原秋桜子・山口誓子・中村草田男ら多くの逸材を輩出した。明治41年(1908年)に鎌倉に居を移し、以後生涯を鎌倉で過ごす。英勝寺で「木々の芽や寺復興の尼悲願」、寿福寺周辺の寺社では数多くの句を残し、鎌倉文士の代表的存在として知られた。昭和15年(1940年)日本…
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高浜虚子とのつながり
明治41年(1908年)に鎌倉に住み始めた虚子は、扇ヶ谷一帯の寺社を生涯歩き続け、寿福寺の山門前の参道や山中の静謐に深く心を寄せた。「鎌倉や百八鐘も虫の声」「寿福寺の門前の道残り雪」など鎌倉での代表的な句を多く詠み、最終的に自らの墓所を寿福寺墓地に定めた。北条政子・源実朝のやぐらと近接する位置に近代俳句の総帥が眠るという、鎌倉ならではの中世と近代の同居をなしている。

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