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JR三郷駅から徒歩10分
奈良県生駒郡三郷町立野南1-29-1
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風神を祀る古社で天御柱命・国御柱命を主祭神とし、二十二社の中七社に列する。崇神天皇の時代に五穀豊穣を祈願して創建されたと伝わり、廣瀬大社の水神と対をなす風神として航海安全・五穀豊穣の神として朝廷に崇敬された。万葉集にも「龍田の風」として詠まれた紅葉の名所で、秋の龍田川の紅葉は百人一首にも「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の錦なりけり」と歌われている。JR三郷駅から徒歩10分の立地で、紅葉の季節には多くの参拝者が龍田川沿いの散策と合わせて訪れる。
龍田大社の創建年代は明らかではないが、第10代崇神天皇の御代(4世紀頃)に天皇が夢のお告げを受け、天御柱命・国御柱命を龍田の地に祀ったことに始まると伝わる。廣瀬大社の水神と対をなす風神として、五穀豊穣・航海安全を司る神として朝廷の崇敬を受けた。律令制が整備された奈良時代には、国家的な祈年祭・風神祭が当社で執り行われ、格式ある官社に列せられた。『日本書紀』天武天皇4年(675年)4月条には、「小紫美濃王・小錦下佐伯連広足を遣して、風神を竜田の立野に祠らしむ」と記され、国家祭祀としての風神祭が確立されたことがわかる。平安時代には二十二社制度が定められ、その中七社の一社に数えられるなど、朝廷から特に…
平安初期の歌人・在原業平が詠んだ「ちはやぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは」は百人一首17番に選ばれた名歌で、龍田川を流れる紅葉を「韓紅(からくれない)」の絞り染めにたとえ、神代の昔にもこのような景色は無かったと驚嘆する内容。龍田川を王朝美の象徴として確立し、当社一帯を紅葉の名所として全国に知らしめた。
天武天皇4年(675年)4月、『日本書紀』に「小紫美濃王・小錦下佐伯連広足を遣して、風神を竜田の立野に祠らしむ」と記され、国家祭祀としての風神祭が制度化された。同時期に廣瀬大社の水神祭も定められ、龍田の風神と廣瀬の水神は対をなす国家祭祀の柱となった。律令国家の宗教政策の中で当社が中核を占めた瞬間である。
第10代崇神天皇の御代(4世紀頃)、国に大凶作と疫病が続いたため、天皇が祈ったところ夢のお告げにより、天御柱命・国御柱命を龍田の地に祀れば五穀豊穣がもたらされるとの神勅を得た。これを受けて社殿を造営したのが当社の創建と伝わる。風神を国家鎮護の神として位置づけた古代の信仰の起点となった。
平安中期の歌人・能因法師が詠んだ「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の錦なりけり」は百人一首69番に選ばれ、三室山から龍田川へ散り敷く紅葉を錦織にたとえた絶唱。業平の歌と並び、龍田川の紅葉を王朝文学の不朽の景物として定着させた。
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