廣瀬大社の創建年代は明らかではないが、大和川・曾我川・飛鳥川の合流する川合の地に鎮座し、古くから水神として崇敬を集めてきたと伝わる。文献上の初見は『日本書紀』天武天皇4年(675年)の条で、「小錦中間人連大蓋・大山中曾禰連韓犬を遣して、大忌神を広瀬の河曲に祠らしむ」と記され、龍田の風神祭と同時に廣瀬の大忌祭が国家祭祀として制度化された。これにより龍田の風神と廣瀬の水神は対をなす国家祭祀の柱となり、律令国家の宗教政策において中核的な位置を占めた。平安時代には二十二社制度が整備され、廣瀬大社は中七社の一社に列せられた。伊勢神宮に次ぐ格式として朝廷から奉幣を受け、五穀豊穣・水の守護神として篤い信仰を…