警固神社の創祀は古く、現在の福岡市早良区付近に鎮座していたと伝わる。社名の「警固」は、神功皇后が三韓征伐に際してこの地で軍勢を警固(守護)したことに由来するとされ、神直毘神・大直毘神・八十禍津日神の三柱を祀る。中世には戦乱の影響を受けつつも信仰が継続されたとされるが、詳細な記録は明らかでない。近世に入り、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦後、筑前国を領した黒田長政は慶長6年(1601年)より福岡城の築城を開始した。この際、城の鬼門(北東)除けの守護社として、現在の福岡市中央区天神2丁目の地に当社を遷座させた。「警固」の地名はこの神社に由来し、また「天神」という地名も当社の末社・天満宮に由来する…