手塚治虫(1928-1989)は大阪府豊中市で生まれ、5歳から24歳まで宝塚市で育った。宝塚で体験した二つの文化が生涯の創作を支えた。一つは宝塚歌劇(少女たちの夢幻的な舞台世界)、もう一つは武庫川沿いで培った昆虫採集の習慣である。「治虫」という名はオサムシ(甲虫の一種)への愛着から親がつけたと伝わる。戦時中は大阪大学医学部(旧制)で医学を学びながら漫画を描き続け、1947年の『新宝島』の大ヒットによって漫画家への道を歩み始めた。生涯に15万ページを超える原稿を残し、映像技術を取り入れた独自の漫画言語を確立して「漫画の神様」と呼ばれた。記念館は手塚没後4年にあたる1994年4月、宝塚市が「世界に…