奈良時代の宝亀5年(774)、光仁天皇の勅願により「神願寺都賀尾坊」として草創されたと伝わる。荒廃の時代を経て、鎌倉時代初期の建永元年(1206)に転機が訪れた。明恵上人(高弁、1173〜1232)が後鳥羽上皇の院宣により栂尾の地を拝領し、「高山寺」と称して華厳宗の根本道場として再興したのである。
明恵は9歳で神護寺に入り、華厳と真言密教を融合させた独自の信仰を確立。また、宋から帰国した栄西禅師(1141〜1215)より茶の種を授かり、栂尾の山内に植えた。これが後世「日本最古の茶園」と称され、以後この地で栽培された茶のみが「本茶」とされ、他を「非茶」と呼ぶ慣習が生まれた。明恵の遺した『夢記』…