天正年間(1573〜92)、開山・永順が聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが草創とされる真言宗豊山派の寺院。山号は神霊山。はじめ中野・宝仙寺の末寺として蓮花山金乗院と称し、のちに護国寺末となった。目白不動明王は元来、文京区関口(旧・関口駒井町)にあった新長谷寺(目白不動堂)に安置されていた。同堂は元和4年(1618)に大和長谷寺の第4世・小池坊秀算が中興したもので、寛永年間(1624〜44)に3代将軍徳川家光の命により「目白」の号が与えられたとされる。昭和20年(1945)の戦災で新長谷寺が焼失したため、本尊の目白不動明王像が金乗院へ移され、金乗院が江戸五色不動の「目白不動」の札所となった…