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京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町24
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文久3年(1863年)、新選組の前身である壬生浪士組が最初の屯所として使用した旧家。屋根に千本格子を持つ町家建築で、芹沢鴨と近藤勇の局長二人が隣室に起居した。同年9月18日夜、この邸の奥座敷で芹沢鴨・平山五郎・小梅が暗殺された。現在は見学施設として公開されており、暗殺現場の柱の刀傷や血痕とされるシミが保存されている。敷地内には抹茶や和菓子を提供するカフェがあり、新選組ファンの聖地となっている。壬生寺に隣接する壬生界隈に位置し、前川邸とともに新選組史跡の核心をなす。
八木邸は、壬生村の旧家として江戸時代以前より続く町家である。文久3年(1863年)、京都の治安維持を目的として江戸から上洛した壬生浪士組が最初の屯所として八木源之丞宅を借用し、以後この地が新選組発祥の拠点となった。屋根に千本格子を持つ伝統的な京町家建築で、組の二局長である芹沢鴨と近藤勇がそれぞれ隣室に起居した。同年9月18日(旧暦)夜、奥座敷において芹沢鴨・平山五郎および芹沢の愛妾小梅が何者かに暗殺される事件が発生し、近藤派による内部粛清であったとされる。明治以降も八木家の私邸として継承され、近現代にわたり建物の基本構造が保たれてきた。20世紀後半より新選組関連史跡への関心が高まる中、暗殺現場…
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文久3年(1863年)9月18日夜、新選組の初代筆頭局長・芹沢鴨が京都壬生の八木邸において暗殺された事件。芹沢は水戸藩出身の豪傑で、新選組草創期に近藤勇と並ぶ局長として組織を牽引したが、粗暴な行動と酒乱で度重なる問題を起こしていた。当夜、芹沢は大酒を飲んで就寝したところを、近藤・土方らの刺客に急襲された。愛人・小梅と平山五郎も共に殺害された。この暗殺は会津藩の黙認のもとで実行されたとも伝わる。芹沢の死後、近藤勇が新選組の単独局長として実権を握り、土方歳三との二頭体制で組織の近代化と規律強化を推し進めた。新選組という組織の権力闘争を象徴する事件として幕末史に刻まれている。
近藤勇は八木邸の一室に局長として居住し、芹沢鴨と二頭体制で新選組の基礎を築いた。芹沢暗殺後は実質的な単独局長となり、ここを拠点に京都の治安維持に当たった。
芹沢鴨は八木邸の奥座敷に居住していた。文久3年9月18日夜、酒を飲んで就寝した芹沢は近藤・土方らの刺客に暗殺された。この地が芹沢の最期の地となった。
土方歳三は八木邸での芹沢鴨暗殺の実行に関与したと伝わる。この暗殺により新選組の指揮系統が近藤・土方体制に一元化され、以後の組織拡大の礎となった。
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