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油小路事件跡(光縁寺付近)
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油小路事件跡(光縁寺付近)
京都府
創建
1867
種別
史跡
アクセス
京都市バス「七条大宮・京都水族館前」から徒歩5分
京都府京都市下京区油小路七条付近
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基本情報
史跡
創建 1867
159年目
概要
慶応3年(1867年)11月18日夜に「油小路事件」が起きた場所。新選組を脱退して御陵衛士(高台寺党)を結成した伊東甲子太郎は、この夜に新選組によって油小路七条付近で暗殺された。新選組はさらに遺体を囮として付近に放置し、遺体を引き取りに来た御陵衛士の藤堂平助・毛内有之助・服部武雄らを待ち伏せして殺害した。三人の遺体は光縁寺に葬られた。この事件は新選組の内部分裂と粛清の冷酷さを示す幕末を代表する事件として語り継がれている。現在、事件現場付近には案内板が設置されており、光縁寺(壬生寺近く)には多くの新選組隊士の墓碑がある。
由緒
油小路事件が起きたのは慶応3年(1867年)11月18日夜のことである。新選組の参謀格であった伊東甲子太郎は、同年3月に新選組を脱退し、御陵衛士(高台寺党)を結成して近藤勇と対立していた。新選組はこの夜、伊東を油小路七条付近に誘い出して暗殺し、さらにその遺体を囮として路上に放置した。遺体を収容しようとして駆けつけた御陵衛士の藤堂平助・毛内有之助・服部武雄は、待ち伏せしていた新選組隊士らによって次々と討ち取られた。一夜にして御陵衛士の中核メンバー計四名が失われたこの事件は、新選組による徹底した粛清の冷酷さを示すものとして、幕末史における重要な事件として後世に語り継がれている。伊東を含む死者の遺骸…
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1867
油小路事件
慶応3年(1867年)11月18日夜、新選組を脱退して御陵衛士(高台寺党)を結成した伊東甲子太郎が新選組に暗殺され、遺体を囮として遺体引き取りに来た御陵衛士の藤堂平助・毛内有之助・服部武雄を新選組が待ち伏せして殺害した事件。伊東は以前から倒幕に傾いていた思想と北辰一刀流の剣技で新選組に加入したが、慶応3年3月に十数名の同志と共に脱退し、御所守護を名目として「御陵衛士」を組織した。しかし新選組(土方歳三)は伊東が幕府の機密を知りすぎていると判断して暗殺を決行。油小路七条付近での暗殺後、遺体を放置して待ち伏せを行い、伊東の遺体を引き取りに来た藤堂平助・毛内・服部の3名を殺害した。この事件は新選組の厳しい内規と内部対立を示す事件として幕末史に刻まれている。
もっと詳しく →
藤堂平助とのつながり
藤堂平助は師・伊東甲子太郎の遺体を引き取ろうとして油小路の待ち伏せに遭い、23歳の若さで命を落とした。新選組の旧同僚に囲まれながら散った死は、幕末の義と無情さを象徴している。
土方歳三とのつながり
土方歳三は油小路事件の作戦立案に関与し、伊東甲子太郎の暗殺と御陵衛士の殲滅を実行した。新選組の副長として内部の反乱を根絶するための決断を下し、組織の引き締めを図った。

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