神奈川県鎌倉市扇ガ谷に佇む日蓮宗の寺院で、山号を大乗山と称する。本尊は久遠本師釈迦牟尼仏。もとは真言宗の「梅嶺山夜光寺」と号したが、永仁元年(1293年)に日像上人が当寺の住職を法論で論破・改宗させ、日蓮宗寺院として再創した。
日像上人は日蓮の高弟で、弘安5年(1282年)に師が身延山で示寂する際「汝こそ京都での法華弘通を成し遂げよ」との遺命を受けた人物である。鎌倉から京都へ向かう途中、由比ヶ浜で百日の修行を行い、その後この扇ガ谷の地に七堂伽藍を整えて薬王寺を開いた。以来、鎌倉における日蓮宗弘通の拠点として機能した。
江戸時代には、3代将軍・徳川家光の弟・駿河大納言徳川忠長の妻、松孝院殿妙行日久が功徳主となり五重塔(供養塔)を建立。この縁で徳川家の三葉葵紋の使用を特別に許され、一般民衆の埋葬が禁じられるほどの格式高い寺院に列した。享保5年(1720年)の大火で五重塔を含む諸堂が焼失した…
扇ガ谷は鎌倉幕府の御家人屋敷が密集した政治的な谷で、北条氏の有力支族がこの地に拠点を持っていた。当地に鎮座していた真言宗の「梅嶺山夜光寺」に、永仁元年(1293年)、日蓮の直弟子・日像上人が来訪した。日像は肥後国出身で13歳のときに日蓮に弟子入りし、弘安5年(1282年)に師が身延山で示寂する際「京都で法華経を広めよ」との遺命を受けた。当地の住職と法論を行い論破。住職は帰依して出家し、寺は日蓮宗に改宗された。日像はその後も鎌倉から京都への布教旅を続け、京都日蓮宗の礎を築いた。
南北朝期以降、当寺は幾多の変遷を経たが、江戸前期・寛永年間(1624〜1645年)に不受不施派の僧・日達が再建し「大…