鎌倉市大町、車大路と小町大路が交差する「辻町」と呼ばれた地域に位置する日蓮宗の寺院。本尊は三宝本尊。延元元年(1336年)、日蓮の門弟・天目(てんもく)上人を開山として創建された。寺の建つ一帯は日蓮が文応元年(1260年)から弘長元年(1261年)頃に庶民に向けて法華経を説いた「辻説法」ゆかりの地として知られ、寺は門前にこれを記念する「日蓮上人辻説法之旧蹟」碑を建てている。「辻寺」「辻の本興寺」の通称はこの地名に由来する。江戸初期の慶長の法難(不受不施派弾圧)で寺勢は一時衰退したが、寛文10年(1670年)に妙本寺の日逞(にっそう)上人によって復興され、以降妙本寺の末寺として法灯を継承している。鎌倉駅東口からバスで「大町四ツ角」下車徒歩5分、または徒歩約12分。
本興寺は延元元年(1336年)、日蓮の門弟である天目(てんもく)上人を開山として創建された日蓮宗の寺院である。寺の所在する大町の交差点一帯は、車大路と小町大路が交わる中世鎌倉の交通の要所「辻町」と呼ばれた地で、日蓮が文応元年(1260年)から弘長元年(1261年)にかけて庶民に向け『立正安国論』の趣旨を説いた「辻説法」ゆかりの場所として知られる。このため寺は「辻寺」「辻の本興寺」と通称され、門前には「日蓮上人辻説法之旧蹟」碑が建てられている。中世から近世初頭にかけては鎌倉における日蓮宗の重要な拠点の一つとして法灯を継いだが、慶長年間(1596-1615年)の幕府による不受不施派の弾圧、いわゆる…
本興寺の建つ大町の交差点一帯は中世鎌倉の交通の要所「辻町」と呼ばれた地であり、日蓮は文応元年(1260年)から弘長元年(1261年)にかけて、この辻に立って庶民に『立正安国論』の趣旨を説いた。鎌倉幕府への建白と並行して庶民への直接布教を行ったこの「辻説法」は、日蓮の宗教運動の核心となる活動の一つで、当時の鎌倉社会に大きな衝撃を与えた。延元元年(1336年)、日蓮入滅から半世紀余りを経て、この辻説法ゆかりの地に高弟・天目を開山として本興寺が建立され、門前には「日蓮上人辻説法之旧蹟」碑が立つ。寺は「辻寺」「辻の本興寺」の通称で広く親しまれ、日蓮が鎌倉の街角で民衆に法華経を説いた歴史を今に伝えている。