天正13年(1585年)、豊臣秀吉による根来寺攻めの兵火を逃れた不動明王像が霊験あらたかとされたことを起源とし、その像を奉安したことが当院の始まりと伝わる。江戸時代には幕府の庇護のもと両国・薬研堀の地に栄え、「薬研堀のお不動さま」として江戸市中の民衆に広く信仰を集めた。この頃「日本三大不動」の一つに数えられるほどの霊場として隆盛を誇り、毎月28日の縁日には多くの参詣者や露店が集まる賑わいを見せたと伝わる。文化・文政期(19世紀初頭)頃には境内周辺が相撲興行や火消し衆の集う地としても知られ、落語・講談で著名な「め組の喧嘩」(文化2年・1805年)の舞台となった。明治以降は近代化の波を受けながらも…