平安時代の承和8年(841年)、現在地の近傍に創建されたと伝わる。もとは稲荷社として霊験あらたかな社とされ、中世以降も湊周辺の人々の信仰を集めてきた。江戸時代に入ると、鉄砲洲(現在の湊・明石町一帯)の埋め立てと市街地の整備が進み、当社はこの地域の鎮守として広く崇敬された。17世紀から18世紀にかけて社殿の整備が進められ、廻船問屋や漁師など海に関わる人々から篤い信仰を受けたと伝わる。明治維新後の近代化の過程でも社格は維持され、関東大震災(1923年)や第二次世界大戦の戦禍を経ながら再建・復興を果たした。戦後に現在の社殿が整えられ、境内の富士塚は中央区唯一現存の富士塚として区の有形民俗文化財に指定…