文治5年(1189年)、源頼朝は奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼした後、戦没者の霊を弔うため鎌倉の二階堂の地に壮大な伽藍の建立を命じた。これが永福寺である。頼朝は遠征の途次に平泉を訪れ、中尊寺・毛越寺の浄土庭園の壮麗さに深く感銘を受けたとされ、永福寺はその影響を受けた浄土庭園様式を採用した。広大な池泉を中心に、二層の本堂「二階堂」が聳え立ち、鎌倉に類を見ない大伽藍が形成された。「二階堂」の呼称はこの建物に由来し、鎌倉の地名「二階堂」および幕府の行政官・二階堂氏の苗字もこの寺から生まれた。建久8年(1197年)頃には阿弥陀堂・薬師堂・二階堂の三堂が揃い伽藍がほぼ完成したとされる。しかし室町時代に入ると…