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湯築城
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湯築城
創建
1335
種別
アクセス
伊予鉄道道後温泉駅から徒歩約5分
愛媛県松山市道後公園
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基本情報
創建 1335
691年目
概要
伊予の豪族・河野氏が約200年にわたり本拠とした中世山城跡。南北朝時代から戦国時代にかけて河野氏の居城として機能し、1585年に長宗我部元親に落城するまでの長い歴史を誇る。現在は道後公園として整備されており、二重の堀と土塁が良好に残る国指定史跡となっている。道後温泉の目と鼻の先に位置し、発掘調査で当時の建物跡も確認されている貴重な中世城郭遺跡である。
由緒
湯築城は、南北朝時代の1335年(建武2年)頃に伊予の有力国人領主・河野氏によって築かれたとされる中世山城である。河野氏はこの城を約200年にわたり本拠地とし、南北朝の動乱期には南朝方として活動するなど、伊予国内において大きな勢力を誇った。室町時代を通じて城の整備が進められ、二重の堀と土塁を備えた堅固な防御体制が構築されたとみられる。戦国時代に入ると河野氏は次第に衰退し、1585年(天正13年)、豊臣秀吉の四国征伐に呼応した長宗我部元親の攻勢によって落城し、河野氏はその後滅亡した。城はその後廃城となり、江戸時代以降は長らく荒廃した。近代以降は道後公園として整備され、1953年(昭和28年)に国…
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豊臣秀吉とのつながり
1585年(天正13年)、秀吉の四国征伐の波が伊予にも及び、長宗我部元親が湯築城を攻落した。約200年にわたり伊予国の覇権を担った河野氏はここで滅亡し、湯築城も廃城となった。秀吉の天下統一の覇業が中世の名城の歴史に終止符を打った。

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