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声が嗄れるまで歌い続けた天皇——後白河法皇と『梁塵秘抄』
後白河法皇は「今様(いまよう)」という当時の流行歌を異常なほど愛好し、声が嗄れるまで夜通し歌い続けた。その成果として千余首の今様を集めた『梁塵秘抄』を編纂。「遊びをせんとや生まれけむ」の一節は平安末期の時代精神を象徴する名句として現代も語り継がれる。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
今様とは何か
声が嗄れるまで歌い続けた
なぜ今様を集めたのか
ゆかりの地を訪ねよう
よくある質問
三十三間堂(京都)——後白河法皇が建立。1001体の千手観音が並ぶ世界最長の木造建築
Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
「趣味に全力を尽くす」という意味では、後白河法皇の今様(いまよう)への熱中は、歴史上でも際立っています。
なにしろ「声が嗄れるまで歌い続けた」と記録に残っています。しかも天皇・上皇という立場にありながら。
今様とは何か
今様(いまよう)とは、平安時代後期に流行した歌謡です。現代で言えば「ポップミュージック」に近いものです。
当時の「高尚な文化」は和歌・雅楽・漢詩などで、今様は庶民・遊女たちが歌う「流行歌」でした。貴族が今様を愛好することは、「下品な趣味」と見られることもありました。
しかし後白河法皇は気にしませんでした。「今様の道は我が一身に始まり、我が一身に終わる」と豪語するほどの入れ込みようでした。
平安の宮廷儀礼——雅楽が支配する貴族の世界で、後白河法皇は今様という庶民の歌に情熱を傾けた
Wikimedia Commons / Public Domain
声が嗄れるまで歌い続けた
後白河法皇は今様を愛するあまり、夜通し歌い続けることもありました。当然、喉を酷使するため声が嗄れてしまいます。
しかしそれを気にせず歌い続けたと伝わります。周囲の人々からは「法皇様、お声が……」と心配されることもあったでしょう。
『梁塵秘抄』の編纂
その情熱の成果が「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」という歌謡集です。今様を千余首集めた大著で、当時の庶民の生活・感情・信仰がリアルに記録されています。
中でも有名な一節は「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけむ、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそゆるがるれ」。
「子どもたちは遊ぶために生まれたようだ。その声を聞くと、大人のわたしも体が揺れ動く」という意味の歌です。遊びや楽しみへの純粋な喜びを謳ったこの歌は、平安末期という激動の時代の人々の感情をリアルに伝えています。
三十三間堂・千手観音1000体——今様を愛した法皇の信仰の深さと文化的情熱の結晶
Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
なぜ今様を集めたのか
後白河法皇が今様に熱中した背景には、単なる「趣味」以上の意味がありました。
平安末期は武士が台頭し、貴族社会が揺らいでいた時代です。今様は「庶民・武士・僧侶・遊女」といったあらゆる身分の人々が共有できる文化でした。
法皇が今様を愛好することで、様々な社会層の人々と心を通わせ、情報を収集できた面もあったかもしれません。
ゆかりの地を訪ねよう
後白河法皇が建立した三十三間堂(京都)は、法皇の「文化的な顔」を象徴するスポットです。仏像1001体が並ぶ圧巻の空間は、今様を愛した法皇の感性と共通するものを感じさせます。
後白河法皇のゆかりの地一覧でほかのスポットも確認してください。
よくある質問
『梁塵秘抄』は今も読める?
現代語訳版が出版されており、書店で入手できます。歌の内容は庶民の日常・恋愛・信仰など多岐にわたり、平安時代のリアルな生活を知る貴重な史料でもあります。
今様と和歌は何が違うの?
和歌は「5・7・5・7・7」の31音節の詩。今様は「7・5・7・5」を基本とするリズムで、旋律をつけて歌うものです。和歌は文字で鑑賞するが、今様は音楽として楽しむという違いがあります。
最終更新日:2026年6月2日
── 了 ──
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