天暦5年(951年)、空也上人(くうやしょうにん)が京都に蔓延した疫病の鎮静を願い、自ら十一面観音像を刻んで阿弥陀聖として市中に念仏を広めたことに始まる。当初は「西光寺」と称したとされるが、後に六波羅蜜寺と改称された。平安末期、当地は平氏の拠点となり、平清盛の邸宅が周辺に営まれたと伝わる。鎌倉時代には幕府が京都支配のための出先機関「六波羅探題」をこの地に設置し、政治・軍事の要所として機能した。南北朝期に六波羅探題が廃絶した後も、寺は法灯を守り続けた。近世には真言宗智山派の寺院として再整備が進み、西国三十三所第17番札所として広く信仰を集めた。明治の廃仏毀釈の波を経ながらも伽藍は維持され、宝物館…