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刀を自ら鍛えた上皇——後鳥羽上皇と「菊御作」の謎
後鳥羽上皇は和歌・蹴鞠・管弦など多方面に卓越した才能を持ったが、なかでも異彩を放つのが刀剣鍛冶への情熱だ。諸国から名匠を集め、自らも刀を鍛えた。上皇が鍛えた「菊御作」は現在も刀剣コレクターに珍重される。承久の乱で隠岐に流された後も、流刑地で和歌と刀づくりに情熱を傾け続けた。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
後鳥羽上皇の多才な才能
刀剣への異常な情熱
承久の乱と流刑地での制作
ゆかりの地を訪ねよう
よくある質問
承久の乱の絵巻——後鳥羽上皇が起こした朝廷対幕府の決戦。敗北した上皇は隠岐に流された
Wikimedia Commons / Public Domain
「天皇が自分で刀を作る」——これはかなり珍しいことです。
後鳥羽上皇(1180-1239年)は、日本史上で最も多才な君主の一人でした。和歌の達人、管弦の名手、蹴鞠の名手——そして自ら刀を鍛えた鍛冶師でもありました。
後鳥羽上皇の多才な才能
後鳥羽上皇は1183年に4歳で即位し(平家が擁立した安徳天皇と並立していた)、1198年に退位しましたが、院政という形で政治の実権を持ち続けました。
文化・芸術への情熱は本物で、「新古今和歌集」の編纂を命じ、自らも優れた歌人として知られました。「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む」はその代表歌の一つです。
平安朝の文書——後鳥羽上皇は文武両道の君主。新古今和歌集を編纂し、自ら刀を鍛えた
Wikimedia Commons / Public Domain
刀剣への異常な情熱
後鳥羽上皇が特に情熱を注いだのは刀剣でした。
各国の名刀工を「番鍛冶(ばんかじ)」として召し出し、毎月交代で作刀させました。そして自らも炉に向かい、刀を鍛えたといわれています。
上皇が関わって作られた刀には「菊御作(きくごさく)」という銘が入っています。菊紋は後鳥羽上皇が好んだ紋章で、現在も皇室の象徴として使われています。
現代の価値:菊御作は現代でも刀剣コレクターに珍重されており、文化財として博物館に所蔵されているものもあります。
承久の乱と流刑地での制作
鶴岡八幡宮——承久の乱で後鳥羽上皇に対峙した幕府の聖地
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
1221年の承久の乱で後鳥羽上皇は敗北し、隠岐島(島根県)に流罪となりました。19年間の流刑生活。
しかし隠岐でも上皇は和歌を詠み続け、刀づくりへの情熱も衰えませんでした。流刑地で詠んだ歌は「遠島御製(おんしま ごせい)」として後世に伝わっています。
最終的に上皇は隠岐を出ることなく、1239年に崩御しました。59歳でした。
ゆかりの地を訪ねよう
承久の乱の舞台となった京都には多くのゆかりの地があります。鶴岡八幡宮は承久の乱で幕府側の精神的拠点となった場所で、上皇の敗北を象徴する地点の一つです。
後鳥羽上皇のゆかりの地一覧でほかのスポットも確認してください。
よくある質問
後鳥羽上皇はなぜ刀づくりに熱中したの?
武家台頭の時代に、武の象徴である「刀」に自ら関わることで、武士への共感や支配者としての存在感を示そうとした、という解釈もあります。
菊御作は今も見られるの?
いくつかが美術館・博物館に所蔵されており、特別展示などで公開されることがあります。
最終更新日:2026年6月2日
── 了 ──
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