直江兼続は違いました。「家臣を一人も手放さない。全員を米沢に移す」と決断したのです。
この決断は、当時の周囲を驚かせました。収入は4分の1なのに、家臣の数はそのまま。どう考えても財政が成り立ちません。
でも兼続には考えがありました。「財政を成り立たせるために、新しい稼ぎ方を作ればいい」。
まず兼続が取り組んだのは最上川沿いの治水工事です。
最上川はたびたび洪水を起こし、農地を壊滅させる暴れ川でした。兼続はここに「直江石堤(なおえせきてい)」と呼ばれる大規模な石積み堤防を建設。洪水を防いで農地を広げ、生産量を増やしました。
農地だけでは足りません。兼続はさらに**青苧(あおそ)**などの特産品の栽培を奨励して、藩の収入を多角化しました。
青苧とは麻の一種で、布の原料になります。「米沢地方で良質の青苧が取れる」という評判を作り、商品として売り出したのです。