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隠岐完全ガイド——王者たちが流された孤島の千年流刑史
日本海に浮かぶ隠岐諸島は、養老6年(722年)の律令制で「遠流」に指定されて以来、小野篁(838年)・後鳥羽院(1221年)・後醍醐天皇(1332年)など千年以上にわたり王者たちを流した離島。隠岐神社や黒木御所跡など主要史跡を完全解説。
目次
MOKUJI
流刑地としての隠岐——722年の遠流指定
小野篁の隠岐(838年)
後鳥羽院の隠岐(1221年)——19年の流刑
後醍醐天皇の隠岐(1332年)——1年で脱出
隠岐の現代——世界ジオパーク
訪れたい場所
ゆかりのスポット一覧
よくある質問
結論から言うと、隠岐(おき)は島根県の北方・日本海の沖合に浮かぶ島々で、養老6年(722年)の律令制で伊豆・佐渡などとともに「遠流(おんる)」の地に指定されて以来、千年以上にわたり日本史を彩る王者たちを流した最重要遠流地である。小野篁(838年)、後鳥羽院(1221年・19年滞在で死去)、後醍醐天皇(1332年・1年で脱出して鎌倉幕府を滅ぼす)——三つの時代の代表的流人を受け入れたこの島は、本土から約60km、当時の船で半日〜1日かかる地理的隔絶こそが「遠流」最適地となる根拠だった。中ノ島(海士町)に後鳥羽院関連、島後(隠岐の島町)に後醍醐天皇関連の史跡が集中。本記事では律令制下の遠流指定、小野篁の歌、後鳥羽院の19年、後醍醐脱出、現代の世界ジオパークまでを完全解説する。
流刑地としての隠岐——722年の遠流指定
60kmの地理的隔絶
隠岐は島根県の北方、日本海の沖合に浮かぶ島々。本土から約六十キロ、当時の船では半日から一日かかる距離。冬の日本海は荒れ狂い、本土と隔絶された状態が続く。地理的な遠さこそが、この島を流刑地として最適にした。
律令制下の遠流地として
養老六年(722年)、律令制度のもとで流刑地が「近流(こんる)・中流(ちゅうる)・遠流(おんる)」に区分されたとき、隠岐は伊豆・佐渡などとともに「遠流」の地に指定された。これ以後、隠岐は中央政界の敗者を呑み込む島として、千年以上の歴史を刻む。
小野篁の隠岐(838年)
「わたの原」百人一首の名歌
最初に隠岐に流されて名を残した人物が、小野篁である(承和五年・838年)。彼が隠岐に渡る際に詠んだ「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ あまの釣舟」は、小倉百人一首にも採られた名歌。「広い海原に、たくさんの島々をめざして漕ぎ出していった、と都の人々に伝えてくれ」——流刑地に向かう諦観と、なお誇りを失わない強さが、この一首には込められている。
わずか2年で復帰
篁は隠岐配流からわずか二年で赦され、参議にまで昇進。平安期の流人としては異例の早さでの復帰で、隠岐流罪が必ずしも終身でなかった稀有な事例として後世まで記憶される。
後鳥羽院の隠岐(1221年)——19年の流刑
海士郡苅田郷源福寺
承久三年(1221年)、後鳥羽院が隠岐に配流された。配流先は隠岐の海士郡(現在の島根県海士町)、源福寺(現在の隠岐神社の地)。院はここで十九年間を過ごし、延応元年(1239年)に死去した。
『遠島御百首』の流人歌
『遠島御百首』をはじめ、隠岐期の和歌は痛切な悲哀に満ちている。「われこそは新島守よ隠岐の海の あらき波風心して吹け」——島の風に向かって、なお帝王として呼びかけた歌である。流刑地に来ても、なお帝王としての矜持を保ったこの歌は、彼の生涯を象徴している。
後醍醐天皇の隠岐(1332年)——1年で脱出
別府御所への幽閉
元弘二年(1332年)、後醍醐天皇が隠岐に配流された。配流先は隠岐の島後(どうご)、別府(現在の島根県隠岐の島町)。だが翌年、後醍醐は隠岐を脱出して挙兵し、鎌倉幕府を滅ぼした。
史上唯一の脱出例
隠岐流罪が「終身」とならなかった、史上唯一の例である。後鳥羽が十九年閉じ込められた島から、後醍醐が脱出した——同じ隠岐が、二人の天皇に対して全く異なる運命を用意した。名和長年ら地元有力者の協力、幕府末期の警戒緩み、武士層の不満蓄積など、後醍醐の脱出を可能にした条件は複合的。
隠岐の現代——世界ジオパーク
4つの有人島
隠岐諸島は、現在は島根県の離島として、ユネスコ世界ジオパークにも登録されている自然豊かな観光地である。島後(隠岐の島町)、中ノ島(海士町)、西ノ島(西ノ島町)、知夫里島(知夫村)の四つの有人島からなる。
中ノ島と島後の史跡
後鳥羽院ゆかりの地は中ノ島(海士町)に集中する。隠岐神社、後鳥羽院御火葬塚、源福寺跡——いまも院の存在感は、島の文化の中心にある。後醍醐天皇ゆかりの地は島後の隠岐の島町に集中し、黒木御所跡や國府尾(こうのお)城跡などが歴史を伝える。
訪れたい場所
隠岐神社(島根県海士町)——後鳥羽院を祀る神社
後鳥羽院御火葬塚(島根県海士町)——院の火葬地と伝わる
黒木御所跡(島根県隠岐の島町)——後醍醐天皇の幽閉地
國府尾城跡(島根県隠岐の島町)——後醍醐天皇関連史跡
小野神社(島根県隠岐の島町)——小野篁を祀る
ゆかりのスポット一覧
隠岐神社(後鳥羽院主祭神)
関連人物:後鳥羽院後醍醐天皇・小野篁
よくある質問
隠岐へのアクセスは?
島根県松江・境港からフェリー(七類港・境港から)約2時間半。米子空港から空路で隠岐空港(島後)へ約30分。中ノ島(海士町)へは別途フェリーが必要で、本土からの所要時間は半日近い。当時の流人の絶望感を体感できる遠さです。
「遠流」「中流」「近流」の違いは?
養老律令(718年)で定められた流罪の三段階。遠流は最重い処分(隠岐・佐渡・伊豆など)、中流(諏訪・安房など)、近流(越前・安芸など)。隠岐は最重い「遠流」の代表で、平安〜中世の重要政治犯が送られる象徴的な地でした。
後鳥羽院の御火葬塚は見学可能?
中ノ島(海士町)にあり、宮内庁管轄の御陵として外側から拝礼可能。京の大原・後鳥羽天皇陵に分骨され、隠岐神社境内にも記念碑があります。中ノ島の海岸沿いの静謐な地で、配流19年の重みを実感できます。
後醍醐脱出ルートは?
伝承では別府(島後)→海士(中ノ島)→出雲国千酌(現松江市美保関町)→伯耆国(現鳥取県)→船上山。隠岐から本土への小舟航海・本土での挙兵・3か月で鎌倉幕府滅亡という驚異の展開を体感できる歴史散策ルートが現存。
隠岐神社の創建はいつ?
隠岐神社は1939年(後鳥羽院崩御700年)に造営された比較的新しい神社。中ノ島の源福寺跡(後鳥羽院配流地)に建立。御火葬塚と並ぶ後鳥羽院遺徳の中心地で、毎年4月14日の崩御祭で島の住民が参集します。
最終更新: 2026年5月2日
島根・隠岐神社——後鳥羽院を祀る配流地中心の神社
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
隠岐諸島の絶景——ユネスコ世界ジオパークに登録された自然
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
黒木御所跡——後醍醐天皇の隠岐幽閉地
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
中ノ島(海士町)——後鳥羽院19年の流刑地、隠岐神社が鎮座
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
冬の日本海——隠岐を本土から隔絶した荒波
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
── 了 ──
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ゆかりの地を訪ねる
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1. 隠岐神社
承久の乱で配流された後鳥羽上皇が19年を過ごした隠岐の地に立つ神社
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