「鬼界ヶ島」は中世日本で「鬼の住む辺境の島」の意味の一般名称。最有力候補は鹿児島県三島村の薩摩硫黄島で、現在も活火山があり「煙が常に上がる」風景は中世人にとって異界そのものでした。
世阿弥の作と伝えられる代表的な四番目物。観世流・宝生流などで現代も上演されます。「島の左近」が小道具を多用するクライマックスは能の名場面の一つ。後の歌舞伎『俊寛』にも継承されました。
京都市左京区銀閣寺付近の山あい。現在も「鹿ヶ谷通」という地名が残ります。俊寛の山荘跡には案内看板があり、平安末期の権力闘争の現場として歴史散歩のスポットとなっています。
本名は俊寛僧都(そうず)。京都法勝寺の執行(しぎょう、寺務管理者)を務めた高位の僧で、後白河院の近臣でもありました。出自は村上源氏の流れを汲むとされ、政治的立場の高さが平家政権との対立の根本にありました。
薩摩硫黄島(鹿児島県三島村)に「俊寛の墓」と伝わる場所があり、俊寛堂と俊寛碑が建てられています。本土からはフェリーで約3時間。現代でも到達困難で、流刑地の絶望感を体感できる稀有なスポット。