鹿児島港から村営フェリー「みしま丸」で約3時間30分。1日1便程度の運航で、天候による欠航もあり、現代でも到達困難。中世の俊寛の絶望を体感できる稀有な離島観光地。
鬼界ヶ島は薩摩硫黄島(鹿児島県三島村)、喜界島は奄美群島の喜界島(鹿児島県大島郡)。両者は別の島で、名前の類似から混同されがち。史料・地元伝承・地理的根拠の総合から、鬼界ヶ島=薩摩硫黄島説が有力です。
薩摩硫黄島の集落に俊寛堂と俊寛碑が現存。観光案内も整備され、島の中心的観光資源として活用。能「俊寛」愛好家・文学愛好家の聖地巡礼地として、年間少数ながら確実な訪問者があります。
『平家物語』では清盛の俊寛への個人的怨恨が強かったためとされます。具体的理由は史料的に不明ですが、俊寛が後白河院の側近で平家政権への抵抗が最も激しかった人物だった点が背景にあると考えられます。
『平家物語』に書かれた伝説で、康頼が彫った千本の卒塔婆のうち1本が安芸宮島(現・厳島神社)に漂着し妻のもとに届いたとされる物語。物理的に検証は不可能ですが、中世日本の海洋信仰と流人文学の融合した美しい伝承として継承されています。