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裏切り者か救世主か——足利尊氏と室町幕府の誕生
足利尊氏は後醍醐天皇に従って鎌倉幕府を滅ぼした功労者だったが、建武の新政の不公平に武士の不満が高まると天皇に反旗を翻し、室町幕府を開いた。「裏切り者」とも「武士の世を守った救世主」とも評価が分かれる尊氏の複雑な生涯を解説する。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
鎌倉幕府を倒した功労者
建武の新政への不満
天皇への反旗、室町幕府の誕生
「裏切り者」か「救世主」か
ゆかりの地を訪ねよう
よくある質問
足利尊氏像(伝)——鎌倉幕府を倒し、後醍醐天皇に背いて室町幕府を開いた武将
Wikimedia Commons / Public Domain
「あの人は裏切り者だ」「いや、武士を救った英雄だ」——足利尊氏ほど評価が分かれる武将は珍しいかもしれません。
鎌倉幕府を倒した功労者
足利尊氏(あしかがたかうじ、1305-1358年)は、もともと鎌倉幕府の有力御家人でした。
1333年、後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒の兵を挙げると、尊氏は幕府側として出陣しました。しかし途中で天皇方に寝返り、京都の幕府拠点・六波羅探題を攻め落としました。
同じ年、新田義貞が鎌倉を攻め落とし、鎌倉幕府は滅亡しました。尊氏は倒幕の最大の功労者の一人となったのです。
後醍醐天皇肖像——尊氏とともに鎌倉幕府を倒したが、後に対立。尊氏に京都を追われ吉野で南朝を開いた
Wikimedia Commons / Public Domain
建武の新政への不満
鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は「建武の新政(けんむのしんせい)」という天皇中心の政治を始めました。
しかしこの新政は、武士たちの不満を招きました。
倒幕で活躍した武士への恩賞が不公平だった
公家(貴族)が優遇され、武士が冷遇された
政策が現実離れしていた
「これでは武士のための政治ではない」——武士たちの不満が高まりました。
天皇への反旗、室町幕府の誕生
湊川神社(神戸)——尊氏が楠木正成を破った湊川の戦いの地。正成を祀る神社が建てられた
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
1335年、武士たちの不満を背景に、尊氏は後醍醐天皇に反旗を翻しました。
楠木正成・新田義貞ら天皇方の武将と激戦を繰り広げ、1336年の湊川の戦いで楠木正成を破りました。尊氏は京都を制圧し、新たに光明天皇を立てて1338年に征夷大将軍となり、室町幕府を開きました。
一方、京都を追われた後醍醐天皇は奈良の吉野に逃れ、独自の朝廷(南朝)を立てました。ここから約60年続く「南北朝時代」が始まります。
「裏切り者」か「救世主」か
尊氏の評価が分かれるのは、「天皇に二度背いた」ように見えるからです。最初は幕府を裏切り、次は天皇を裏切った。
しかし武士の視点から見れば、尊氏は「公家中心の政治から武士の世を守った救世主」でもあります。室町幕府は約240年続き、日本の武家政権の伝統を確立しました。
戦前の日本では「天皇に背いた逆賊」として否定的に扱われましたが、現代では「時代の要請に応えた現実的な政治家」という評価が定着しています。
ゆかりの地を訪ねよう
建長寺(鎌倉市)は尊氏が活躍した鎌倉時代の禅文化を象徴する寺院です。尊氏が楠木正成を破った湊川には湊川神社(神戸市)があります。
足利尊氏のゆかりの地一覧でほかのスポットも確認してください。
よくある質問
尊氏はなぜ二度も裏切ったの?
「裏切り」というより「状況に応じて最も有利な選択をした」とも言えます。当時の武士は主君を変えることが珍しくなく、尊氏は武士全体の利益を代表する立場を選んだという見方もあります。
南北朝時代はいつ終わったの?
1392年、足利義満(尊氏の孫)の時代に南北朝が統一され、約60年の分裂が終わりました。
最終更新日:2026年6月3日
── 了 ──
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