御成敗式目(別名・貞永式目)は1232年(貞永元年)に北条泰時が制定した、日本初の武士による武士のための成文法だ。全51か条。武士の土地権利・裁判手続き・女性の相続権・道徳規範などを日本語(かな文字交じり)で定めた。従来の武家の慣習を成文化することで、御家人誰もが同じ基準で裁かれる仕組みを確立した。
泰時は評定衆(有力御家人・有識者による合議体)を設置して権力を分散させ、一族専制から合議制政治へと幕府の統治を変えた。御成敗式目では女性の地頭相続権も認めるなど先進的な内容を含んでおり、御家人から「公正な裁きをする執権」として広く信頼された。後世の歴史家も「鎌倉幕府最良の執権」と評価することが多い。
泰時の墓は北鎌倉エリアに残っているとされるが、現在は一般に公開された墓所として整備されていない。父・義時の墓(義時の墓・やぐら、西御門)と、祖母・政子の墓(政子の墓・やぐら、寿福寺内)は参拝可能だ。
評定衆(ひょうじょうしゅう)は1225年に設置された幕府の最高合議機関で、執権・連署(れんしょ、副執権)のもとに有力御家人・有識者(実務官僚)が加わって政務・裁判を集団で審議した。現代でいえば「閣議」に近い機能を持ち、北条一族が独断で幕府政治を専断することへの抑制として機能した。
御成敗式目は日本の「法律文化」の出発点として、武家社会の安定に大きく貢献した。特に「慣習に基づく武士の道徳を成文化する」という方法論は、以降の分国法(戦国大名の法典)・武家諸法度(江戸幕府の法律)に受け継がれた。「すべての人が同じ基準で裁かれる」という理念は近代法の先駆とも評価され、歴史教育でも必須項目となっている。