「小倉百人一首」が生まれたきっかけは、意外にも実用的なものでした。
定家は晩年、京都・嵯峨の小倉山のふもとにある山荘に隠棲していました。あるとき、息子・為家(ためいえ)の妻の父である宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)から、「山荘の障子(襖)を飾る色紙に、和歌を書いてほしい」と依頼されました。
そこで定家は、古今の優れた歌人100人から、それぞれ代表的な和歌を一首ずつ選びました。これが「小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)」の起源とされています。
天智天皇・持統天皇から始まり、紫式部・清少納言などの女流歌人、西行・後鳥羽上皇まで、100人の名歌が並びます。