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正月のかるたの原点——藤原定家と小倉百人一首
鎌倉時代の歌人・藤原定家が選んだ「小倉百人一首」は、100人の歌人の和歌を一首ずつ集めたもの。もとは山荘の障子を飾るために選ばれたが、後に「かるた」となって日本中に広まり、現在も正月の風物詩として親しまれている。百人一首誕生の物語を解説する。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
藤原定家とはどんな人物か
障子を飾るために選んだ百首
かるたとして全国へ
ゆかりの地を訪ねよう
よくある質問
百人一首の歌人——藤原定家が選んだ100人の名歌は、かるたとなって日本中に広まった
Wikimedia Commons / Public Domain
お正月に遊ぶ「百人一首かるた」。その元を作ったのが、鎌倉時代の歌人・**藤原定家(ふじわらのていか/さだいえ)**だと知っていますか。
藤原定家とはどんな人物か
藤原定家は、平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した日本を代表する歌人です。
後鳥羽上皇の命を受けて「新古今和歌集」の編纂に携わるなど、当時の和歌の世界で最高峰の存在でした。「有心(うしん)」という、深い情趣を重んじる美意識を確立し、後世の和歌に大きな影響を与えました。
平安朝の宮廷文化——百人一首には天皇・貴族・女流歌人の和歌が並ぶ。定家は王朝文化の精髄を百首に凝縮した
Wikimedia Commons / Public Domain
障子を飾るために選んだ百首
「小倉百人一首」が生まれたきっかけは、意外にも実用的なものでした。
定家は晩年、京都・嵯峨の小倉山のふもとにある山荘に隠棲していました。あるとき、息子・為家(ためいえ)の妻の父である宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)から、「山荘の障子(襖)を飾る色紙に、和歌を書いてほしい」と依頼されました。
そこで定家は、古今の優れた歌人100人から、それぞれ代表的な和歌を一首ずつ選びました。これが「小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)」の起源とされています。
天智天皇・持統天皇から始まり、紫式部・清少納言などの女流歌人、西行・後鳥羽上皇まで、100人の名歌が並びます。
かるたとして全国へ
平等院鳳凰堂(宇治)——定家が和歌の道を極めた王朝文化の世界を今に伝える世界遺産
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
定家が選んだこの100首は、当初は障子を飾る色紙でした。しかし時代が下ると、これが「かるた」という遊びの道具に変わっていきました。
江戸時代になると木版印刷の普及で百人一首かるたが大量に作られ、庶民の間に広まりました。読み手が上の句を読み、取り手が下の句の札を取り合う——この遊びは、和歌に親しみながら遊べる教養娯楽として定着しました。
現在も正月の風物詩として親しまれ、競技かるたは漫画・映画の題材にもなっています。一人の歌人の選んだ100首が、800年を超えて日本人に愛され続けているのです。
ゆかりの地を訪ねよう
百人一首が選ばれた小倉山のふもと、京都・嵯峨野には常寂光寺など定家ゆかりの寺社が点在します。
定家が編纂に関わった新古今和歌集の世界を感じるなら、平安文化を伝える平等院(京都府宇治市)も訪れたいスポットです。
藤原定家のゆかりの地一覧でほかのスポットも確認してください。
よくある質問
「ていか」と「さだいえ」どちらが正しい読み?
歴史的には「さだいえ」ですが、歌人としては「ていか」と音読みで呼ばれることが一般的です。どちらも正しい読みです。
百人一首にはどんな歌が選ばれているの?
恋の歌・四季の歌・人生の無常を詠んだ歌などさまざまです。「秋の田のかりほの庵の…」(天智天皇)で始まり、天皇・貴族・僧侶・女流歌人まで、100人の多彩な歌人の代表作が選ばれています。
最終更新日:2026年6月3日
── 了 ──
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