JR奈良線「宇治」駅から徒歩10分
京都府宇治市宇治蓮華116
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穢れ祓い・心身の浄化・邪気払い。禊(みそぎ)や護摩の伝統に連なる。
御祭神「阿弥陀如来」のご神徳に由来
お祭り・行事
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鳳凰堂が紅葉とともにライトアップされ、阿字池に映る姿は極楽浄土そのもの。
平等院は京都府宇治市に位置し、藤原頼通が1052年(永承7年)に父・藤原道長の別荘を寺院に改めて建立した浄土信仰の極致ともいうべき世界文化遺産の名刹。翌1053年に建立された鳳凰堂(阿弥陀堂)は、中堂・北翼廊・南翼廊・尾廊が左右対称に広がり、池の水面に映える姿はまるで鳳凰が翼を広げて飛翔するかのような美しさを誇る国宝の建物。堂内に安置される木造阿弥陀如来坐像(高さ約2.8メートル)は仏師定朝の唯一の真作として確認されており、平安仏教美術の最高峰として名高い国宝。小壁に掲げられた52体の雲中供養菩薩像もすべて国宝で、浄土の世界を表現した華麗な彫刻群は見る者を圧倒する。創建から970年以上を経た現在も10円硬貨・1万円札の図柄として日本人に親しまれており、1994年に世界遺産「古都京都の文化財」として登録された。宇治川の清流と緑豊かな庭園の中に佇む鳳凰堂の姿は、日本美の象徴として永く語り継がれ…
永承7年(1052年)、藤原道長の別荘「宇治殿」を子の頼通が寺院に改め、明尊大僧正を開山に招いて平等院とした。当時は「末法元年」にあたり、西方極楽浄土への強い憧憬が造寺を促した。翌天喜元年(1053年)、阿弥陀堂(鳳凰堂)が建立され、中堂・北翼廊・南翼廊・尾廊が池の水面に映える姿を現じ、堂内には仏師定朝唯一の真作である木造阿弥陀如来坐像(国宝)と52体の雲中供養菩薩像(国宝)が安置された。建武3年(1336年)の南北朝の戦乱で鳳凰堂を除く主要伽藍を焼失し、以後荒廃した。江戸初期に園城寺からの管理が放棄された後、浄土宗の浄土院と天台宗の最勝院による年交代での共同管理体制が確立。明治35〜40年(…
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関連する歴史的事件
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10世紀以降の平安中期、末法思想(1052年入末法)の広まりと社会不安を背景に、阿弥陀如来への信仰が拡大した。市聖・空也(903-972)は京の市中で念仏を勧進し民衆に広め、天台の源信(942-1017)は『往生要集』(985年)で地獄と極楽の様相を詳説し念仏往生を体系化した。藤原頼通の平等院鳳凰堂(1053年)など阿弥陀堂建築が盛行し、後の法然・親鸞の浄土教確立への道を開いた。
894年の遣唐使廃止(菅原道真建議)以降、10〜11世紀に唐風文化を消化して日本独自に発展させた貴族文化。摂関政治期の藤原氏全盛期に花開いた。かな文字の発達により和文学が開花し、紀貫之『土佐日記』、紫式部『源氏物語』(世界最古の長編小説)、清少納言『枕草子』、和泉式部『和泉式部日記』、『竹取物語』『伊勢物語』などが生まれた。勅撰和歌集『古今和歌集』(905年・紀貫之ら編)が成立。貴族住宅は寝殿造、衣装は女性の十二単・男性の束帯。絵画では大和絵(巨勢金岡ら)、書道は和様(小野道風・藤原佐理・藤原行成の三跡)。浄土信仰が広まり阿弥陀仏像・来迎図が盛行した。
11世紀末〜12世紀、白河・鳥羽・後白河上皇による院政期に展開した文化。国風文化を基盤としつつ、浄土信仰の地方伝播と新興武士の台頭を背景に、躍動的で新たな感覚が加わった。建築では平等院鳳凰堂(1053年・藤原頼通)、中尊寺金色堂(1124年・奥州藤原氏)、富貴寺大堂(豊後)など阿弥陀堂が各地に建立。絵巻物が発達し『源氏物語絵巻』『信貴山縁起絵巻』『伴大納言絵詞』『鳥獣人物戯画』(鳥羽僧正作とも)が生まれた。今様(歌謡)が流行し後白河上皇編『梁塵秘抄』が成立。『今昔物語集』『大鏡』『栄花物語』などの歴史・説話文学も豊穣を極めた。
永承7年(1052年)、藤原道長の長男・頼通が父の別荘を寺に改め平等院を創建した。この年は仏滅から2000年が経過するという「末法元年」にあたり、浄土への強い憧憬が鳳凰堂建立を促した。道長の「望月の歌」が詠まれた権力の頂点から、その子が末法思想に揺れる時代への変化を、この寺は象徴する。
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