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庶民の声を政治に届けた箱——徳川吉宗と目安箱
1721年、徳川吉宗は江戸城の評定所前に「目安箱(めやすばこ)」を設置した。庶民が将軍に直接意見を届けられるこの箱から、小石川養生所の設立など画期的な政策が生まれた。「将軍みずから読む」という仕組みが江戸の政治を変えた話を解説する。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
「目安箱」とは何か
目安箱から生まれた政策
吉宗はなぜ「暴れん坊将軍」と呼ばれるのか
ゆかりの地を訪ねよう
よくある質問
徳川家康(参考)——吉宗は「家康の政治を理想とする」として享保の改革を行った。目安箱はその「民の声を聞く政治」の象徴
Wikimedia Commons / Public Domain
「将軍に直接手紙が書ける」——現代でも議員に陳情するのは難しいのに、江戸時代にそれを実現した将軍がいました。
徳川吉宗(1684-1751年)、江戸幕府八代将軍です。
「目安箱」とは何か
1721年(享保6年)、吉宗は江戸城の評定所(裁判所に相当する場所)の前に木箱を設置しました。これが**目安箱(めやすばこ)**です。
仕組みは単純です。紙に意見・要望・苦情を書いて、この箱に投入する。月に数回、箱が開けられ、吉宗本人が読む。
江戸城——目安箱が設置されたのは江戸城評定所前。将軍が庶民の声を直接受け取る仕組みが作られた場所
Wikimedia Commons / Public Domain
目安箱から生まれた政策
目安箱の投書から実際に政策が実現した有名な例があります。
「江戸には貧しい病人が医療を受けられる場所がない」という投書を受けた吉宗は、1722年に**小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)**を設立しました。
これは現代で言えば「公立病院の無料外来」に相当するものです。医師を養成し、貧しい人々が無料で診療を受けられる施設でした。
その後、小石川養生所は現在の東京大学医学部の前身の一つとなりました。
重要な制約もあった
ただし目安箱には制約もありました。
身分制度の打破・政治体制の根本的変革を訴える内容は受け付けない
実名で書く必要がある(匿名は基本的に不可)
既存の法律や格式を無視した要望は考慮されない
つまり「現行の仕組みの中での改善要望」を聞く箱であり、体制の変革を求める声には応えないものでした。
(参考)江戸時代の禅の精神——吉宗の政治は「民のための政治」という理念を持ち、目安箱はその理念を形にした仕組みだった
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
吉宗はなぜ「暴れん坊将軍」と呼ばれるのか
テレビドラマで有名な「暴れん坊将軍」は徳川吉宗をモデルにしています。ドラマでは「将軍が庶民の中に入り込んで悪を懲らしめる」という話ですが、これは後世の創作です。
実際の吉宗は「享保の改革」という幕府財政再建プロジェクトに取り組んだ実務家型の将軍でした。目安箱はその一環として、「庶民の声を政策に活かす」という目的で設置されました。
ゆかりの地を訪ねよう
吉宗ゆかりのスポットは主に東京(江戸)と和歌山(出身地)に分布しています。
徳川吉宗のゆかりの地一覧でスポットを確認してください。
よくある質問
目安箱は吉宗以降も続いたの?
吉宗の後の将軍時代には廃止・縮小されたとも言われます。吉宗個人の意欲によって機能していた仕組みで、制度として継続するのは難しかったようです。
目安箱の実物は残っている?
復元品が東京都内の博物館などで展示されています。実物は残っていませんが、投書の内容を記録した文書は一部が残っています。
最終更新日:2026年6月3日
── 了 ──
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ゆかりの地を訪ねる
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