義経・畠山重忠・結城朝光ら複数の御家人の行動を頼朝に告発したことが、「讒言者」というイメージの根拠となっている。しかしこれらの告発は当時の頼朝の意向に沿ったものであり、頼朝在世中は問題とされていなかった点も考慮する必要がある。
梶原景時を弾劾した御家人たちはその後どうなったのか
弾劾の主力となった三浦義澄・和田義盛・畠山重忠らは、その後も北条氏の権力拡大の過程でそれぞれ政治的に排除されていく。景時を弾劾した御家人たちの多くが、後に北条氏によって粛清されたという歴史の構図は、幕府権力の変遷を考える上で示唆に富む。
JR清水駅または草薙駅からタクシー約二十分、登山口から徒歩約三十分。標高二百八十一メートルの山頂からは駿河湾と富士山の景色を一望できる。
景季も正治二年(1200年)正月二十日の梶原山での戦闘で父とともに討死した。梶原氏嫡流はこの戦闘で全滅した。