鎌倉幕府を開いた源頼朝をはじめ、歴代将軍がこの八雲神社を篤く崇敬したと伝わる。大町は鎌倉の中心部に近く、将軍が日常的に通る重要な地域であった。幕府の保護を受けた八雲神社は、武家社会における疫病退散・武運長久の守護社として重要な位置を占めた。
八坂神社からの勧請という背景は、当時の武家政権にとっても大きな意味を持った。京都の皇室・公家文化との精神的なつながりを、鎌倉の地に根付かせる役割を八雲神社は担っていたとも考えられる。
現在の本殿は江戸時代の建築と伝わり、関東大震災(1923年)でも損壊を免れた。境内の**「義光腰掛石」**は、永保年間に義光がこの地で神を祀った際に腰を掛けたとされる石で、千年近い歳月を経た今も参拝者を出迎えている。
近隣の別願寺(時宗・足利持氏の供養塔が残る)や上行寺(鎌倉大町)(「がん封じの寺」として知られる日蓮宗寺院)とともに、大町エリアは歴代政権の信仰が重層的に刻み込まれた地である。