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利田神社と鯨塚——石鳥居と社殿の建築、東京唯一の鯨供養塚をめぐる
品川区東品川の利田神社(かがた神社)は、沢庵和尚が洲崎に弁財天を勧請して創建した古社。素朴な石鳥居と社殿、玉を抱く狛犬といった建築・石造の見どころに加え、寛政10年(1798年)に品川沖へ迷い込んだ鯨を供養した「東京で唯一現存する鯨塚」が伝わる。建築と鯨の二つの物語をたどる。
目次
MOKUJI
利田神社の建築——石鳥居から社殿まで
東京で唯一の鯨塚——寛政10年の鯨供養
鯨の記憶が息づく利田公園
沢庵和尚が結んだ洲崎弁天——神社の由緒
アクセスとあわせて巡りたい品川の社寺
よくある質問
結論から言えば、東京都品川区東品川の利田神社(かがた神社)の見どころは二つ。ひとつは石鳥居・社殿・狛犬が織りなす素朴な神社建築、もうひとつは寛政10年(1798年)に品川沖へ迷い込んだ鯨を弔った**東京で唯一現存する「鯨塚」**です。海とともに生きた品川の歴史が、建築と鯨という二つのかたちで今に伝わっています。
「利田神社」の扁額を掲げる石鳥居越しに社殿を望む参道
利田神社の建築——石鳥居から社殿まで
「利田神社」の扁額を掲げる石鳥居
参道の正面に立つのは、どっしりとした花崗岩の明神鳥居です。笠木の下の額束には「利田神社」と刻まれた扁額が掲げられ、左右の柱にはそれぞれ「献」「奉」の文字が見えます。鳥居越しにまっすぐ社殿を望む構図は、こぢんまりとした境内ながら凛とした参道の軸線をつくり出しています。
こぢんまりとした社殿と境内
鳥居をくぐった先には、瓦屋根をいただいた社殿が静かに鎮座します。大規模な楼門や回廊を持つ大社とは対照的に、漁師町・品川の鎮守らしい等身大の親しみやすさが魅力です。境内には末社の稲荷社も祀られ、限られた敷地に神社建築の要素がほどよく凝縮されています。玉垣や石灯籠、敷石の参道といった石造の意匠も、長い年月をかけて整えられてきたものです。
毬を抱く狛犬——台座に奉納者の名を刻む利田神社の石造物
玉を抱く狛犬の一対
参道の両脇を固めるのが、一対の狛犬です。片方は毬(玉)を、もう一方は子獅子を足元に抱く「玉取り・子取り」の構図で、台座には奉納者の名が刻まれています。風雨に削られた石肌が、この社が積み重ねてきた時間の厚みを物語ります。神社建築を訪ねる楽しみは、社殿だけでなく、こうした石造物のディテールにも宿っています。
風雨に削られた狛犬の石肌が長い年月を物語る
東京で唯一の鯨塚——寛政10年の鯨供養
寛政10年(1798年)、品川沖に迷い込んだ鯨
利田神社を語るうえで欠かせないのが鯨塚です。『新編武蔵風土記稿』によれば、寛政10年(1798年)5月、暴風雨のなか品川沖に迷い込んだ一頭の鯨を、猟師町の漁師たちが捕らえました。その大きさは「長九間高七尺」、すなわち全長およそ16メートルにも及ぶ巨大なものでした。当時、江戸近海に鯨が現れること自体が大変な出来事で、見物人が押し寄せる大騒動になったと伝わります。
しながわ百景の案内板「利田神社と鯨塚(Kagata Shrine and the mound of a whale)」
この鯨は将軍家にとっても関心の的となり、時の十一代将軍・徳川家斉が浜御殿(現在の浜離宮)に運ばせて上覧したとも言われ、江戸じゅうの評判になりました。
大田南畝が銘を刻んだ鯨塚(品川区文化財)
捕らえられた鯨は、その後、骨を境内に埋めて手厚く供養され、塚の上に「鯨塚」の二字を刻んだ石が建てられました。この碑には、当代きっての文人・**大田南畝(蜀山人)**が銘を寄せたと伝えられ、江戸の文化人の関心の高さがうかがえます。鯨塚は現在、品川区の文化財に指定されており、東京で唯一現存する鯨の供養塚として知られています。
鯨をかたどった石のモニュメント——青いモザイクの基壇が海を表す
できごと
1626年
沢庵和尚が洲崎に弁財天を勧請(洲崎弁天)
1798年
品川沖に迷い込んだ鯨(全長約16m)を漁師が捕獲
1798年
鯨の骨を埋め、大田南畝の銘を刻んだ鯨塚を建立
明治期
神仏分離により市杵島姫命を祀る利田神社に
鯨の記憶が息づく利田公園
鯨をかたどったモニュメント
神社に隣接する利田公園には、鯨をかたどった大きな石のモニュメントが据えられています。青いタイルのモザイクで海を表した円形の基壇の上に、鯨の姿を思わせる黒い自然石が天を突くように立ち、潮を吹き上げる一瞬を切り取ったかのようです。鯨塚の歴史を現代によみがえらせる、この地ならではの造形です。
利田公園の鯨をモチーフにしたスプリング遊具
子どもたちと鯨の遊具
公園には、青や紺の鯨をモチーフにしたスプリング遊具が置かれ、子どもたちの遊び場になっています。二百年以上前に品川の人々を驚かせた鯨は、いまや町の子どもたちに親しまれる愛らしい存在へと姿を変えました。高層ビルを背景に並ぶ鯨たちは、海と生きた品川の記憶が、かたちを変えて受け継がれていることを教えてくれます。
高層ビルを背に、鯨のモニュメントと遊具が並ぶ利田公園
沢庵和尚が結んだ洲崎弁天——神社の由緒
寛永3年(1626年)の創建
利田神社の起源は、寛永3年(1626年)にさかのぼります。沢庵漬けの名でも知られる名僧**沢庵宗彭**が、目黒川の河口にできた洲崎の地に弁財天を勧請したのが始まりで、当初は「洲崎弁天」と呼ばれました。沢庵は三代将軍・徳川家光に重んじられ、近くの東海寺を開いた高僧でもあり、品川の地と深い縁を結びました。
弁財天から市杵島姫命へ
江戸時代、この一帯は南品川の名主・利田吉左衛門によって開発が進められ、「利田新地」と呼ばれました。社名の「利田」はこれに由来するとされます。明治の神仏分離を経て、弁財天は神道の女神・市杵島姫命へと改められ、芸能・音楽・財運の神として今も信仰を集めています。
アクセスとあわせて巡りたい品川の社寺
利田神社へは、京急本線「新馬場」駅から徒歩約8分。旧東海道品川宿の風情が残るエリアで、御朱印や寺社めぐりとあわせて楽しめます。
東海寺——利田神社を創建した沢庵和尚が開いた臨済宗の名刹。沢庵ゆかりの地をたどるならぜひ。
品川神社——東海道の北の守りとされる品川の総鎮守。富士塚や双龍鳥居でも知られる。
荏原神社——「南の天王」と呼ばれる品川の古社。利田神社とあわせて品川の海の信仰をたどれる。
建築と鯨——二つの物語を一度に味わえる利田神社は、品川さんぽの隠れた名所です。
よくある質問
利田神社の読み方は何ですか?
「かがたじんじゃ」と読みます。品川区の案内板でも「Kagata Shrine」と表記されています。江戸期の名主・利田(としだ)氏に由来し「としだ神社」とも呼ばれます。東京都品川区東品川に鎮座します。
鯨塚はどこにありますか?いつのものですか?
鯨塚は利田神社の境内にあります。寛政10年(1798年)に品川沖へ迷い込み捕獲された全長約16メートルの鯨を供養したもので、文人・大田南畝の銘が伝わります。東京で唯一現存する鯨塚として品川区の文化財に指定されています。
利田神社へのアクセスは?
京急本線「新馬場」駅から徒歩約8分です。旧東海道品川宿エリアにあり、東海寺・品川神社・荏原神社など周辺の社寺とあわせての参拝がおすすめです。
最終更新日:2026年6月5日
── 了 ──
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