稲荷信仰がなぜ「商売繁盛」「産業興隆」の神として定着したのかは、日本の社会変容を映す鏡でもあります。
奈良・平安時代、稲荷信仰の中心は五穀豊穣と農耕の守護でした。「稲荷」という名の由来そのものが「稲生り(いなり)」——稲が実る——という農業的意味を持ちます。稲を豊かに実らせるという神の働きは、農耕民族にとってまさに生命の根幹でした。
鎌倉・室町時代になると、稲荷信仰は農村から都市の手工業者・商人へと広がっていきます。「物が実る=商売が繁盛する」という類推的な信仰の転用が、稲荷神を商業の守護神へと変貌させる起点となりました。この時代の稲荷社は、座(ざ)と呼ばれる商工業者の組合と深く結びついていきます。
江戸時代の大衆信仰——「江戸には伊勢屋・稲荷に犬の糞」
江戸時代になると、稲荷信仰は爆発的に広まります。「江戸には伊勢屋(商店)・稲荷(祠)に犬の糞が多い」というほど、町中のいたるところに稲荷の小祠が建てられました。鶴岡八幡宮の境内にも稲荷社が置かれており、鎌倉でも武士・商人を問わず稲荷信仰が浸透していた様子がうかがえます。
現代の稲荷社では、商売繁盛・産業発展はもとより、芸能上達・技芸成就の御神徳も語られるようになりました。これは「物が実る(成就する)」という稲荷神の本質的な働きが、農業・商業・芸能と広く援用された結果です。江島神社の境内にも、芸能の神・弁財天と並んで稲荷が祀られており、信仰の重層性が見えます。