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京阪三条駅から徒歩3分
京都府京都市中京区三条小橋町
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元治元年(1864年)6月5日深夜に「池田屋事件」が起きた旅籠跡地。三条小橋西詰に位置したこの旅館に、長州藩・土佐藩を中心とする尊王攘夷派の志士約30名が集会していたところを、近藤勇率いる新選組が急襲した。激しい白刃戦の末に吉田稔麿・望月亀弥太ら複数の志士が死亡、多数が捕縛された。この事件が翌月の禁門の変(蛤御門の変)の引き金となった。現在は居酒屋チェーン「旅籠 池田屋 はなの舞」が当時の間取りを模した内装で営業しており、史跡プレートが設置されている。三条大橋のたもとに位置するアクセスの良い幕末の重要史跡。
池田屋は幕末期に三条小橋西詰に営業していた旅籠(旅館)である。元治元年(1864年)6月5日深夜、この旅館において幕末史を大きく動かす事件が勃発した。長州藩・土佐藩を中心とする尊王攘夷派の志士約30名が秘密裏に集会を開いていたところ、近藤勇・沖田総司・永倉新八らが率いる新選組が急襲したのである。これが「池田屋事件」として歴史に刻まれた一夜である。激しい白刃戦の末、吉田稔麿・望月亀弥太らが死亡し、多数の志士が捕縛された。新選組側にも負傷者が出たとされる。この事件は倒幕派勢力に甚大な打撃を与えるとともに、長州藩の強硬派を激昂させ、翌月の元治元年7月に起きた禁門の変(蛤御門の変)の直接的な引き金とな…
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1864年(元治元年)6月5日深夜、京都三条小橋の旅館・池田屋(現在の京都府京都市中京区)に潜伏していた尊王攘夷派志士を、新選組が急襲した事件。近藤勇・沖田総司・土方歳三らが率いる新選組は、長州藩を中心とした志士約30名と激闘を繰り広げ、吉田稔麿・望月亀弥太ら複数の志士を討ち取った。長州藩はこの一報を聞いて京都奪還を目指し、翌月の禁門の変を起こすが惨敗。新選組はこの活躍で名声を高め、幕府方の治安維持部隊として確固たる地位を確立した。現在、池田屋跡地は居酒屋チェーン店となっており、当時の間取りを模した内装でその歴史を伝えている。
沖田総司は池田屋への先陣突入組の一人として激闘を繰り広げた。伝説では戦闘中に喀血して倒れたとも伝わるが、その真偽は諸説ある。池田屋は沖田の剣技と体の限界が交錯した場所である。
近藤勇は池田屋事件の総指揮を執り、わずか十数名で30名超の志士を相手に斬り込んだ。この一夜の武功が新選組の名を天下に轟かせ、近藤の局長としての威信を不動のものとした。
永倉新八は池田屋の激闘で活躍し、複数の志士と斬り結んだ。後年の回顧録にこの夜の激戦を生々しく記しており、池田屋事件の一次証言として極めて重要な記録となっている。
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