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按針塚(三浦按針の墓)
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按針塚(三浦按針の墓)
神奈川県
創建
1620
種別
史跡
アクセス
京急逸見駅から徒歩15分
神奈川県横須賀市西逸見町
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基本情報
史跡
創建 1620
406年目
概要
三浦按針(ウィリアム・アダムス)とその妻の墓所。横須賀市逸見に位置し、按針が家康から拝領した領地の近くにある。按針はイギリス人航海士として1600年に豊後に漂着し、徳川家康の外交顧問として活躍。家康から三浦郡逸見に領地を賜り、日本名「三浦按針」を名乗った。1620年に平戸で没した後、この地に墓が建てられた。国指定史跡。
由緒
1600年(慶長5年)、イギリス人航海士ウィリアム・アダムスはオランダ船デ・リーフデ号の操舵手として豊後(現在の大分県)に漂着した。徳川家康はアダムスの航海・造船・砲術の知識を高く評価し、外交顧問として召し抱えた。家康はアダムスに三浦郡逸見(現・横須賀市)の地を領地として与え、日本名「三浦按針」を名乗ることを許した。按針は日本で妻帯し、家族とともに逸見の地に縁を持ちながら、幕府の外交・貿易政策に深く関与した。1620年(元和6年)、按針は長崎・平戸において没した。享年55歳とされる。その後、かつての所領に近い逸見の地に墓所が設けられ、按針とその日本人妻の墓が建てられたと伝わる。江戸時代を通じて…
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三浦按針とのつながり
三浦按針(ウィリアム・アダムス)は1600年にオランダ船リーフデ号で豊後に漂着したイギリス人航海士。徳川家康に重用され、外交・造船・貿易の顧問として仕えた。家康は按針に三浦郡逸見の領地250石を与え、按針はこの地に屋敷を構えて日本人妻と暮らした。按針の死後、この墓所が築かれ、日英交流の原点として国の史跡に指定されている。

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