文治5年(1189年)、源頼朝が奥州征伐のため軍勢を率いて武蔵国を通過した際、乗馬の葦毛(あしげ)の馬が蛇崩川沿いの沢地で暴れて深みにはまり命を落としたため、土地の者が塚を築いて葬ったと伝わる鎌倉時代の伝承地で、現在は世田谷区下馬5丁目の目黒区境に石碑が立つ。頼朝はこの事件を受け「以後この沢を渡る者は馬から下りて引いて通れ」と命じ、「馬引沢(うまひきさわ)」の地名の由来となったとされる。頼朝はまた近くの社に戦勝祈願をし、後に戦勝礼と馬の供養のため再訪し、その際の老婆のもてなしにちなんで「姥ヶ谷(うばがや)」の地名が付いたとも伝わる。別説では鎌倉時代の地頭・北条左近太郎の乗馬が倒れて埋葬した塚とも伝わり、いずれにしても中世武蔵国の馬と武士の記憶を今に伝える地域史跡。1969年8月24日に下馬史跡保存会により現在の石碑が建立され、世田谷区の史跡として保存されている。「下馬」「馬引沢」「姥ヶ谷」…