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壇ノ浦砲台跡
山口県
攘夷に燃える長州藩が欧米列強と砲火を交えた下関戦争の砲台跡、海峡に長州砲が並ぶ
創建
1863
種別
史跡
アクセス
山口県下関市みもすそ川町1
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基本情報
史跡
創建 1863
163年目
概要
壇ノ浦砲台跡は、幕末の下関戦争(馬関戦争)の舞台となった砲台の跡で、現在は関門海峡に面したみもすそ川公園として整備されている。文久3年(1863年)、攘夷を決行した長州藩はこの一帯に砲台を築き、海峡を通る欧米列強の艦船を砲撃した。翌年には英・仏・蘭・米の四国連合艦隊の反撃を受け、砲台は破壊・占拠された。公園には海峡へ砲身を向ける5門の長州砲(レプリカ)が並び、源平合戦の壇ノ浦古戦場と隣り合う、二つの時代の戦いの記憶が重なる地である。
由緒
文久3年(1863年)5月10日、攘夷を決行した長州藩は馬関(下関)海峡を封鎖し、航行中のアメリカ商船、続いてフランス・オランダの軍艦を無通告で砲撃した。長州藩は前田・壇ノ浦など海峡沿いに砲台を築き、攘夷戦の最前線とした。これに対し列強は報復に転じ、元治元年(1864年)8月、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四国連合艦隊17隻が下関を砲撃し、陸戦隊を上陸させて砲台を破壊・占拠した(下関戦争・馬関戦争)。圧倒的な軍事力の前に敗れた長州藩は攘夷の不可能を悟り、講和交渉を経て、やがて開国・倒幕へと路線を転換していく。この敗北は幕末政局の大きな転機となった。なお実際の砲台跡の一つ「長州藩下関前…
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