文久3年(1863年)5月10日、攘夷を決行した長州藩は馬関(下関)海峡を封鎖し、航行中のアメリカ商船、続いてフランス・オランダの軍艦を無通告で砲撃した。長州藩は前田・壇ノ浦など海峡沿いに砲台を築き、攘夷戦の最前線とした。これに対し列強は報復に転じ、元治元年(1864年)8月、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四国連合艦隊17隻が下関を砲撃し、陸戦隊を上陸させて砲台を破壊・占拠した(下関戦争・馬関戦争)。圧倒的な軍事力の前に敗れた長州藩は攘夷の不可能を悟り、講和交渉を経て、やがて開国・倒幕へと路線を転換していく。この敗北は幕末政局の大きな転機となった。なお実際の砲台跡の一つ「長州藩下関前…