寿永4年(1185年)3月24日、現在の山口県下関市沖の関門海峡において、源義経率いる源氏軍と平知盛率いる平家軍との間で壇ノ浦の戦いが繰り広げられた。これは治承・寿永の乱(源平合戦)における最後の決戦であり、この海戦をもって平家は滅亡した。戦いでは関門海峡の急流・潮流を巧みに利用した攻防が展開され、形勢が源氏方に傾くと、平家の女官・二位の尼(平時子)が幼い安徳天皇を抱いて入水し、平家一門も次々と海に身を投じた。安徳天皇はこのとき数え年8歳であったとされる。この悲劇的な結末は後世の軍記物語『平家物語』に詳述され、日本文学・文化に深く刻まれた。明治期以降、古戦場跡は整備が進み、源義経と平知盛の像が…