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JR奈良線「稲荷」駅すぐ
京都府京都市伏見区深草薮之内町68
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事業繁栄・開店繁盛・取引成功。稲荷神社や恵比寿神社で広く祈願される。
御祭神「宇迦之御魂大神」のご神徳に由来
伏見稲荷大社の奥社(奥の院)は稲荷山中腹に位置し、本殿から30分ほど参道を登った先にある稲荷信仰の核心部である。奥社から更に登ると「御膳谷奉拝所」「眼力社(がんりきしゃ)」「薬力社」など様々な末社が点在し、それぞれ特定のご利益を持つ社として参拝者が祈願する。朱塗りの千本鳥居が延々と続く参道は世界的に有名な景観で、外国人観光客ランキングでも常に上位に入る日本随一の観光スポットである。稲荷山は標高233メートルで、山頂の「一ノ峰(上社神蹟)」まで往復すると2〜3時間かかるが、多くの参拝者が山全体を巡る「お山めぐり」に挑戦する。夜間は鳥居がライトアップされ昼間とは異なる神秘的な雰囲気が漂う。
伏見稲荷大社の創建は和銅4年(711年)、秦氏の一族である伊侶具秦公(いろぐのはたのきみ)が稲荷山の三ケ峰に神を祀ったことに始まると伝わる。平安遷都(794年)後は朝廷との結びつきが深まり、延喜式(927年)では名神大社に列せられた。中世には武家や庶民の間にも稲荷信仰が広まり、全国各地に勧請された稲荷社の総本宮として地位を確立した。近世には豊臣秀吉が母の病気平癒を祈願したとも伝わり、朱塗りの鳥居を奉納する慣習もこの時代に隆盛したとされる。明治維新後の神仏分離令(1868年)により、それまで習合していた仏教的要素が排除され、神社としての体裁が整えられた。奥社(奥の院)は稲荷山中腹に位置し、古くか…
秀吉は伏見稲荷大社を篤く信仰し、天正17年(1589年)には社殿の修復・造営を行った。五穀豊穰・商売繁盛の神として知られる稲荷信仰を天下人として保護し、伏見城(稲荷山の北麓付近)の築城に際しても当社を城下の守護神として重視した。
天正2年(1574年)、信長は伏見稲荷大社に多数の朱塗り鳥居を寄進したとされる。戦国大名が相次いで鳥居を奉納する慣習の先駆けとなり、現在の「千本鳥居」の原型を作った人物のひとりとして伝わる。
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