即成院は平安時代に関白藤原頼通の子・橘俊綱が伏見に建立した山荘の持仏堂を起源とし、明治35年(1902年)に泉涌寺山内の現在地に移転再興された泉涌寺の塔頭である。本尊の阿弥陀如来像と二十五菩薩像は平安後期の作で重要文化財に指定され、来迎の情景を立体的に表現した稀有な仏像群である。那須与一が屋島の戦いの前に当寺で祈願したと伝わり、「与一の寺」として弓道や必勝祈願の信仰を集める。泉涌寺七福神巡り第1番(福禄寿)の札所に数えられ、境内には与一の墓と伝わる石塔がある。毎年10月の「二十五菩薩お練り供養」は極楽来迎を再現する壮麗な法要で、京都の秋の風物詩である。JR・京阪東福寺駅から徒歩約15分、泉涌寺参道入口に位置する。
即成院の起源は平安時代後期に遡る。1094年(嘉保元年)頃、関白藤原頼通の子・橘俊綱が伏見に営んだ山荘の持仏堂として創建されたと伝わる。本尊の阿弥陀如来像と二十五菩薩像はこの時期に造立されたとされ、来迎の情景を立体的に表す稀有な作例として平安後期彫刻の精華を示す。鎌倉時代には、那須与一が1185年(元暦2年)の屋島の戦いに先立ち当寺で戦勝を祈願したと伝わり、「与一の寺」として武家の崇敬を集めた。境内には与一の墓と伝わる石塔が現存する。その後、幾多の変遷を経て寺運は衰微したとされるが、詳細は明らかでない。近代に入り、明治35年(1902年)に泉涌寺山内の現在地へ移転・再興され、泉涌寺の塔頭として…