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五稜郭
北海道
創建
1866
種別
アクセス
函館市電五稜郭公園前から徒歩15分
北海道函館市五稜郭町44
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基本情報
創建 1866
160年目
概要
幕末に築かれた日本初の西洋式星形要塞。万延元年(1860年)に着工し、慶応2年(1866年)に完成した。明治2年(1869年)の箱館戦争の最終決戦地として知られる。旧幕府海軍副総裁・榎本武揚と陸軍奉行並・土方歳三らが率いる旧幕府軍が拠点とし、新政府軍との最後の戦いを繰り広げた。5月11日の新政府軍総攻撃で、土方歳三は最後の突撃中に箱館の弁天台場付近で銃弾に斃れた。榎本武揚は降伏し、戊辰戦争が終結した。現在は国の特別史跡・五稜郭公園として整備され、五稜郭タワーからの星形の眺めが美しい函館の名所。桜の名所としても知られ、春には約1600本の桜が城壁を彩る。
由緒
安政4年(1857年)、江戸幕府は北方警備と開港場・箱館の防衛強化を目的に、オランダの築城技術を参考とした西洋式星形要塞の建設を計画した。設計は蘭学者・武田斐三郎が担当し、万延元年(1860年)に着工。慶応2年(1866年)に竣工した。五稜郭の名は、五角形の稜堡(とりで)を持つ構造に由来する。完成直後から奉行所が置かれ、行政・軍事の拠点として機能した。明治元年(1868年)、戊辰戦争の戦火が北上すると、旧幕府海軍副総裁・榎本武揚が率いる旧幕府軍が蝦夷地へ渡り、五稜郭を占拠。独自の政権(蝦夷共和国)樹立を宣言した。明治2年(1869年)5月、新政府軍の総攻撃が始まり、陸軍奉行並・土方歳三は最後の…
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関連する歴史的事件
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1868
戊辰戦争
1868年(慶応4年)1月から1869年(明治2年)5月にかけて戦われた、明治新政府軍と旧幕府・奥羽越列藩同盟などの戦争。鳥羽・伏見の戦いに始まり、江戸城無血開城、東北の奥羽越列藩同盟との戦い、箱館戦争まで、約1年半にわたった内戦。最終的に新政府軍が全国制覇に成功し、明治維新が完成した。旧幕府軍側には会津藩・庄内藩・榎本武揚らが抵抗し、その悲劇は今も東北各地に語り継がれている。この戦争は近代日本国家の誕生を決定づけた歴史的内戦として位置づけられる。
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1869
箱館戦争跡地(五稜郭)
1868年(明治元年)10月から1869年(明治2年)5月にかけて北海道函館で行われた戊辰戦争最後の戦い。旧幕府海軍副総裁・榎本武揚は艦隊を率いて蝦夷地(北海道)に渡り、フランス軍人ブリュネらの助力を得て五稜郭を拠点に蝦夷共和国を樹立した。土方歳三・大鳥圭介らが陸軍を指揮したこの独立政権は、選挙で榎本を総裁に選出するなど近代的な統治機構を備えていた。しかし翌年、新政府軍の総攻撃により各拠点が次々と陥落し、土方歳三は最後の戦闘で戦死、榎本は降伏した。星形の西洋式城郭・五稜郭は現在、国の特別史跡として整備され、五稜郭タワーから上空から望む星形の城郭は函館を代表する観光スポットとなっている。戊辰戦争の終結と明治政府の全国統一を象徴する歴史的聖地である。
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榎本武揚とのつながり
榎本武揚は慶応4年(1868年)に旧幕府海軍を率いて箱館に入り、五稜郭を拠点に蝦夷地を支配する「蝦夷共和国」を樹立、総裁に選出された。明治2年(1869年)5月11日の新政府軍総攻撃で抵抗を続けたが、翌18日に降伏。のちに明治政府に登用され、逓信大臣・農商務大臣などを歴任し、幕府側の人物として最も高い地位に就いた。
土方歳三とのつながり
土方歳三は五稜郭を最後の拠点として、明治2年(1869年)5月11日の新政府軍総攻撃に際し、馬に乗って奮戦した。その日の戦闘中に銃弾を受け、35歳で壮絶な戦死を遂げた。「土方の戦死によって五稜郭の幕府方の士気は崩れた」と伝わる。函館の地に眠る新選組最後の英雄として、今も多くのファンが訪れる。

ゆかりの人物
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