永徳元年(1381年)に本成院日円上人が筑後柳川に「円理院」として開山した日蓮宗の古刹。山号は瑞祥松林山。慶長年間(1596-1615年)に立花宗茂の重臣・薦野増時により現在の中呉服町に移転し、薦野家の菩提寺として機能した。慶長8年(1603年)には京都妙覚寺の日忠上人とキリシタンのイルマン久左衛門・安東との間で「石城問答」と呼ばれる公開宗論が行われた博多宗教史の重要舞台となっている。天明5年(1785年)に本堂・山門が再建され、1945年の福岡大空襲でも奇跡的に焼失を免れ、江戸期の博多寺院建築を今に伝える貴重な現存例。