悲田院の起源は推古天皇元年(593年)、聖徳太子が病者・老人・孤児など社会的弱者を救済するために大阪・四天王寺周辺に設けた慈善施設にさかのぼると伝わる。「悲田」とは仏教の慈悲に基づく施しの対象を意味する言葉であり、施薬院・療病院とともに四箇院の一として機能したとされる。その後、戦乱や社会変動のなかで廃絶と再興を繰り返したと伝えられるが、詳細な経緯は明らかでない。鎌倉時代、俊芿(しゅんじょう)律師が宋より帰国して泉涌寺を開創・再興した流れのなかで、現在地に泉涌寺の塔頭として再興されたとされる。堂内には鎌倉時代の仏師・快慶の作と伝わる宝冠阿弥陀如来像が安置されており、鎌倉期の仏教文化との深い結びつ…