無量光院は、奥州藤原氏三代当主・藤原秀衡によって1160年代(12世紀後半)に建立されたと伝わる寺院である。京都・宇治の平等院鳳凰堂を範として造営されたとされ、その規模は平等院を凌いでいたと推測されている。中島を持つ大池を中心に阿弥陀堂や翼廊などの堂宇が配置された浄土式庭園であり、西方に沈む夕日が阿弥陀堂の正面に重なるよう設計されたとされ、平安末期の浄土信仰を体現した空間であった。1189年、源頼朝の奥州征伐によって奥州藤原氏が滅亡すると、平泉の諸伽藍は急速に荒廃し、無量光院もやがて廃絶した。近世以降は田畑に埋没していたが、近代以降に発掘調査が進められ、礎石・庭園護岸・中島などの遺構が確認され…