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中尊寺
岩手県
創建
850
種別
寺院
アクセス
岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
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基本情報
寺院
創建 850
1176年目
宗派
天台宗

この地で詠まれた句
2

夏草や兵どもが夢の跡
松尾芭蕉 1689年
季語
夏草(夏)
奥の細道、平泉高館にて。藤原三代の栄華と義経主従の悲劇を偲んで。
藤原氏三代と源義経の栄華がいまは夏草の原となっている、という無常観。奥の細道中の名句の一つ。
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お祭り・行事
1

5月
1
藤原まつり
今月開催
奥州藤原氏の栄華を再現する時代行列。源義経公東下り行列では毎年著名人が義経役を務める。
概要
世界遺産・平泉の中心に位置する天台宗の寺院。嘉祥3年(850年)に慈覚大師円仁が開基し、奥州藤原氏初代・藤原清衡が12世紀初頭に大伽藍を造営した。境内には国宝第一号に指定された金色堂をはじめ、内部を金箔で覆い尽くした浄土建築の傑作が現存する。奥州藤原氏三代の栄華と仏教文化の粋を伝える東北最大の名刹であり、2011年に世界文化遺産「平泉」の構成資産に登録された。松尾芭蕉も「奥の細道」で訪れ「五月雨の降り残してや光堂」と詠んだ名句の舞台でもある。
由緒
嘉祥3年(850年)、慈覚大師円仁の開基。平安時代末期に奥州藤原氏初代・藤原清衡が大伽藍を造営し、金色堂を建立。国宝・重要文化財を多数有する。2011年ユネスコ世界文化遺産登録。

関連する歴史的事件
4

1100
院政期文化
11世紀末〜12世紀、白河・鳥羽・後白河上皇による院政期に展開した文化。国風文化を基盤としつつ、浄土信仰の地方伝播と新興武士の台頭を背景に、躍動的で新たな感覚が加わった。建築では平等院鳳凰堂(1053年・藤原頼通)、中尊寺金色堂(1124年・奥州藤原氏)、富貴寺大堂(豊後)など阿弥陀堂が各地に建立。絵巻物が発達し『源氏物語絵巻』『信貴山縁起絵巻』『伴大納言絵詞』『鳥獣人物戯画』(鳥羽僧正作とも)が生まれた。今様(歌謡)が流行し後白河上皇編『梁塵秘抄』が成立。『今昔物語集』『大鏡』『栄花物語』などの歴史・説話文学も豊穣を極めた。
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1189
奥州合戦
1189年、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした一連の軍事作戦。頼朝の命を拒んで義経をかくまった奥州藤原氏の藤原泰衡を討つことを名目に、頼朝は二十万余騎ともいわれる大軍を率いて奥州に進撃した。藤原泰衡は各地で抵抗したが本拠・平泉を捨てて逃走し、家人に裏切られて殺された。わずか一ヶ月余りで奥州全土が制圧され、百年に及ぶ奥州藤原氏の繁栄は終焉を迎えた。この合戦で頼朝は全国の武士を動員する権威を示し、武家政権の全国支配を確立した。中尊寺金色堂はその栄華の記憶を今に伝える。
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1189
義経の悲劇(判官贔屓)
平氏討滅の立役者でありながら、兄・源頼朝に追われた源義経の悲劇的な最期。壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした義経は朝廷から検非違使に任じられたが、頼朝の許可なく官職を受けたとして激怒され、追討を命じられた。奥州平泉の藤原秀衡のもとに逃れたが、秀衡の死後その子・泰衡に攻められ、1189年閏4月30日、衣川館(岩手県平泉町)で妻子を斬った後に自害した。31歳の若さで散った義経の生涯は「判官贔屓」の代名詞となり、以来900年にわたって日本人に愛され続けている。
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