天長7年(830年)頃、右大臣清原夏野の山荘を寺院に改めたのが法金剛院の起源とされる。その後一時荒廃したが、大治5年(1130年)、鳥羽天皇の中宮・待賢門院璋子が伽藍を復興し、「法金剛院」と号した。待賢門院は崇徳・後白河両天皇の母にあたり、深く仏教に帰依したことで知られる。この復興に際して整備された浄土式庭園は、極楽浄土を地上に表現したものとされ、境内に設けられた青女の滝は日本最古の人造の滝と伝わる。同庭園は後に国の特別名勝に指定された。中世には戦乱や火災により幾度か衰退したとされるが、律宗の寺院として法脈は保たれた。近世以降は徐々に整備が進み、近代には蓮の栽培が本格化して「蓮の寺」として広く…