京都府乙訓郡大山崎町、天王山の中腹に位置する真言宗智山派の古刹。山号は天王山。「宝寺(たからでら)」の名で親しまれる。神亀元年(724年)、聖武天皇の勅命を受けた行基が開創したと伝わり、境内の小槌宮には天皇が夢で龍神から授かったという「打出」と「小槌」が祀られている。本尊の木造十一面観音立像(鎌倉時代・1233年作、重要文化財)をはじめ、三重塔・木造閻魔大王坐像諸眷属・木造金剛力士像・板絵著色神像など5件以上の国指定重要文化財を蔵する。天正10年(1582年)の山崎の戦いでは豊臣秀吉がこの寺を本陣に定め、山崎城(宝寺城)の一部として活用した。境内の「出世石」は秀吉が作戦を指揮したと伝わる場所。三重塔は秀吉が一夜にして建てたという「一夜の塔」の伝説でも知られる。
神亀元年(724年)、聖武天皇の勅命を受けた行基によって天王山に開創されたと伝わる。長徳年間(995〜999年)には寂昭が再興。平安末期から中世にかけて天台・真言系の大寺として栄えたが、度重なる戦乱で衰退と復興を繰り返した。天正10年(1582年)、本能寺の変で信長を討った明智光秀に対し、中国大返しで急行した羽柴秀吉(豊臣秀吉)が天王山を制し、当寺を本陣として山崎の戦いに臨んだ。その後秀吉は山腹に山崎城(宝寺城)を築き、寺地の一部を城郭として活用した。三重塔は天正12年(1584年)頃の建立とされ、秀吉が一夜にして建てたという伝説から「一夜の塔」と呼ばれる。江戸時代には真言宗智山派に属し、徳川…