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宝積寺(宝寺)
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宝積寺(宝寺)
創建
724
種別
寺院
アクセス
JR山崎駅から徒歩15分(天王山登山道)
京都府乙訓郡大山崎町大山崎銭原1
Google Map で開く ↗
基本情報
寺院
創建 724
1302年目
御祭神・御本尊
十一面観音
宗派
真言宗智山派
ご利益
健康長寿・病気平癒
縁結び
安産・子授け
厄除け・災難除け
病気平癒・身体健全・心身の癒し。薬師如来や観音菩薩を本尊とする寺院が霊験あらたか。
御祭神「十一面観音」のご神徳に由来
概要
神亀元年(724年)に聖武天皇の勅願により行基が開創した真言宗智山派の古刹で「宝寺」の愛称で親しまれる。「一夜の竹生島」と呼ばれる伝説のある竹生島弁才天を勧請し、打ち出の小槌にちなむ宝物を安置する。天王山の中腹に位置し、山崎の合戦(1582年)では羽柴秀吉が本陣を置いた場所としても知られる歴史的名刹。本殿内の三重の小塔(国の重要文化財)は1288年建立で天王山随一の宝物。財運・開運のご利益で参拝者が多く訪れる。
由緒
神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したと伝わる真言宗の古刹である。創建時、行基が竹生島弁才天を勧請したとされ、「一夜の竹生島」と呼ばれる伝説とともに信仰を集めてきた。中世には天王山の霊地として栄え、正応元年(1288年)には本殿内に三重の小塔が建立された。この小塔は精緻な工芸を示す遺構として後に国の重要文化財に指定されている。近世最大の転機は天正10年(1582年)の山崎の合戦で、羽柴秀吉が明智光秀を討つべく天王山に布陣した際、当寺を本陣として使用したとされる。この史実により宝積寺は合戦ゆかりの地として広く知られるようになった。江戸時代以降は「宝寺」の愛称で親しまれ、打ち…
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豊臣秀吉とのつながり
天正10年(1582年)6月13日の山崎の合戦において、秀吉はこの宝積寺(天王山の中腹)に本陣を置き、天王山を制する高地の優位を活かして明智光秀の軍勢を撃破した。この戦いは「天下分け目の天王山」の語源となり、本能寺の変からわずか13日で光秀を討った秀吉が天下取りへの道を切り開いた決定的瞬間である。

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